出発当日、徳島まで行くのは夜行バスに決めた。
飛行機や新幹線も考えたが、その交通手段を使うと移動がかなり面倒くさくなり、徳島についてから歩くのが中途半端になってしまうからだ。
どうせならば、中途半端な時間帯ではなく朝一番から歩きたい。
半年間コーチングでメンバーの皆さんが私に会いに来る時、夜行バスを使って来ていたのも聞いていたので、一度夜行バスがどのようなものか知りたかった理由もあった。
夜行バスには今まで一度も乗った事がない、人生初となる。
駅の待ち合わせ場所について説明を聞き、バスに乗り込むと、ある事に気が付いた。
それは、私の背が高いので前の座席に足が支え伸ばせないと言う事だった。
7時間位乗るだけなのでエコノミー症候群になる心配はないが、徳島に着いてから20キロは歩く予定なので足が伸ばせないのは致命的な事である。
また、注意書きに「バスの中ではアルコールはお控え下さい」と書いてある。
バスの中ではする事がないので、先程コンビニでアルコールを調達して来たばかりだ!
どうしようかと少しの間ボーッとしているとバスに乗り込んだ人達の間で、プシュッ、プシュッと次々と缶ビールを開ける音が聞こえて来た。
な〜んだ、皆飲んでいるではないかと安心し、私もアルコールを飲む事にした。
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しかし、私からはプシュッと言う缶ビールを開ける音は出て来ず、シュポンと言うワインを開ける音に隣のお兄ちゃんは「ワ、ワインですか?」と面喰っているようだった。
紙コップは事前に用意してあったので、そのお兄ちゃんにもお裾分けで渡し、雑談で盛りあがった。
どうやら彼女に会いに徳島に行くとの事なので、少々アドバイスをしたらとても喜んでくれた。
バスの中は満員で家に帰る人、遊びに行く人、仕事の人なども見受けられるが、大きなザックを持ち遍路に出かけようとするのは私一人でのようである。
暫くしたら車内の照明が消え、皆眠りにつく。
ふと窓の外に目をやると、全国コンサルで街から街へと周っていた事を思い出し懐かしい感じがした。
旅と言う物は何時の時でも楽しい物である。
そんな思いを抱きながら明日に備え私も目を閉じるが、バスが狭すぎて殆ど寝る事が出来ず、結局朝を迎える事となった。
バスが徳島駅に着き、そこから1番札所のある坂東駅までは、各駅停車の電車に乗らなければいけない。
駅員に乗る場所と時刻を確認してから駅構内をグルッと見渡すと、大きなザックと使い古された金剛杖を持った老人がいた。
区切り打ちなのかどうかは分からないが、彼も今から遍路の旅に出かけるみたい。
私もその姿を見てもう一度気合いを入れ直してから電車に乗り込む。
まだ、朝早いせいか人影は疎ら。
20分位して目的の坂東駅に着き、そこから歩いて行くが遍路さんの姿を数人見かけただけで、当初自分が想像していた遍路さんでごった返している様子ではない。
こんなものだろうか?
テレビや本で読んだイメージと全然違うな・・・などと考えながら歩き、一番札所に到着するが、数百人で賑わっている感じではなくここでも遍路さんは数人程度しか見かけなかった。
これは後々分かって行く事だが、朝早かったり平日だったりすると人は極端に減り、10時頃〜15時位までは団体さんがワンサカ押し寄せる為お寺が混雑する。
その時はお寺にお参りする礼儀作法も本で読んだだけだったので、人が少なくて調度良かったのかもしれない。
事前にロウソクや線香、収め札、白衣、などはネットで購入していたので、菅笠と金剛杖だけを一番札所で入手した。
納経を終え、早速菅笠を被るが、お寺の人から被り方が違うよとご指摘があり被り直す。
どうやら同行二人と書いてある文字が後ろに来るように被るのが礼儀らしい。
遍路には様々なルールがあり、本堂をお参りしてから太子堂。
収め札には自分の名前、住所、願い事を書いて収めるが、今の時代個人情報を悪用されたケースもある為、殆どの人は住所欄に都道府県、市町村までしか書かず収めている。
参拝の一連の流れは、まだ慣れていないので最初はぎこちなかったが、一通り済ませれば大体要領は分かってくる。
※入り口にある水で手と口を清める⇒本堂⇒ロウソクをつける⇒線香をつける⇒収め札を収める⇒賽銭を入れる⇒経本を唱える⇒太子堂に行く⇒同じ流れを繰り返す⇒納経してもらう
これが一連の流れだ。
今日は20キロ歩く予定なのでグズグズしていられないと思い、歩き遍路の道具が揃った時点で2番札所の極楽寺を目指す。
一番札所の門を出て2番札所に歩いて行くが、矢印がついている遍路マークが至る所に張ってあるので地図を見なくてもまず間違う事がない。
このシステムは凄い。
四国全土に歩き遍路用のシールが電柱やガードレールに張ってあり、自分がボーとして見落とすか、たまに真っ直ぐなのか斜めなのか曖昧なシールがあるので、それを間違えない限り進んで行ける。(と言っても地図は必要だし、私も数回間違えた)
歩き遍路用の衣服に身を固め歩いていると不思議な感覚に捉われる。
2011年、全国コンサルで車の中から歩きお遍路さんを不思議な気持ちで見ていた私が、まさか、今、自分が、歩きお遍路をしているとは誰が想像したであろうか・・・
今、現実に車の中から歩き遍路をしている私を見ている人は昔の私であろうか。
もし、遍路に来なければこの世界は存在しない。
この感情を知る事もないし、街に出て女性と遊んでいる私が今でも存在しているのかもしれない。
このようにパラレルワールド的な世界が誰にでも起こるのだが、それを選ぶのは自分自身しかいない。
こう言った経緯を知らないと、怪しい世界に入ったとか言われそうだが、いくつもの偶然が重なり道は繋がる。
全国コンサルをしていなかったら
開創1200年の2014年でなかったら
四国の宿で会話をしていなかったら
テレビで遍路特集をしていなかったら
私が自由な職業でなかったら
私は良くクライアント様にこの言葉を言うが、新しい一歩を踏み出すと見えてこなかった物が見えてきて新しい道が生まれる。
そこから通ってきた道と道が合流し、新しい思考や感情が生まれ、人は選択、決断し成長して行く。
本で読んだだけの知識ではなく、テレビで疑似体験をするのでもなく、やはり自分で「見て聞いて感じる」重要性を、この時再認識した。
1番2番3番と順調に歩いている内にある事に気が付くが、四国の人は遍路さんを見かけると「お気をつけて」や「ご苦労様」などの挨拶を交わしてくる事だった。
老若男女殆ど全ての人が気持ちよく挨拶をしてくれる。
四国の人は小さい頃からこの光景を見ていて、遍路さんを見かけたら挨拶をしなさいと親から教わっているのだろう。
また、四国でも田舎町に行ったりすると町の立札に「挨拶が一番大事」みたいなスローガンがあったりする。
この習慣は非常に素晴らしく、私も歩く事が精神的にきつくなってきた時に、知らない人から挨拶を受け「よし、頑張ろう」と言う気持ちになり、随分と助けられた。
言霊と言うのがあるが、一言発するその音色には確かに人を元気にしたり、落ち込んだりする言葉が含まれていると思う。
通常人は街で生活をしている為、落ち込むような言霊を受け、何時の間にかストレスを貯めこんでいるが、私が四国を旅している時は、一度もストレスを感じる事がなかった。
これは、今の時代「奇跡」と呼んでも良いのではないであろうか・・・
そんな挨拶を何度も受けながら歩いていたのだが、昼に差し掛かった頃ある事に気が付いた。
それは、遍路道にはコンビニや食堂がなく、食事出来る場所がないと言う事だった。
最初こそ国道沿いを歩いていたのだが、遍路道は殆どが旧道を歩く為、山や民家しかない。
コンビニで何か買っておけば良かったな・・・と後悔したが、なにせはじめての経験なので、今後の教訓にするしかなく、気を取り直して歩いて行った。
その間、足を休ませる為に何度も小休憩を取るが、思ったよりも歩くのがきつい。
なにせ、12キロのザックを背負って長距離を歩く事も初めての経験なので、どの位のタイミングで休憩すれば良いか?また自分の歩くスピードを、どの位にすれば良いのか?一番疲れにくいのは?それがさっぱり分からなかった。
暫くすると、遍路小屋(遍路さんが休憩出来るように四国全土にある寄付で立てられた小屋)があり、そこに座っていた地元のおじいちゃんに手招きで「ここで休憩して行きなさい」と誘われ暫し休憩を取るが、そのおじいちゃんが昔の遍路さんの話をしてくれた。
昭和初期の遍路さんは今現代と違い、本当に行き倒れ寸前の人ばかりらしく、お米やお金など接待を受けながら四国中を廻っていたらしい。
※接待とは?お遍路さんに飲み物や食べ物、金銭を施し、遍路が出来ない自分の代わりにお参り下さいと言う習慣
その道中、そのまま亡くなった方も大勢いて、遍路中に着る白衣も死に装束の名残らしい。
そんな歴史観を教えてもらい、礼を言い立ち去ろうとするが、なんと足が痛くて直ぐには歩けない。
遍路に来てまだ一日目だと言うのに、この足の痛さは何だ?
これで本当に、88か所を歩き切る事が出来るのか?
その不安感を抱えながら何とか歩き出し、6番札所がある安楽寺に着いた。
そのお寺さんの横にある休憩所でコーヒーを飲んでいると、いかにも遍路しています的な白髪交じりで髭を生やしたおじさんが「今日はさっぱりやなー」などと休憩所の人と喋っていた。
何の事かな?と思っていたらその理由はすぐに分かった。
そのおじさん、団体さんがバスで到着すると托鉢をはじめお金をいくばくか貰っているのである。
どうやらそれで遍路の旅を続けているようであったが、それもその人なりの旅の仕方なんだろう。
私は自分なりの旅を楽しもうと思い、その場を後にして本日の宿に向かった。
宿に到着したのが午後5時、なんと10時間も歩いていた事になる(休憩も含んでだが)宿で靴を脱ごうと思ったら足が浮腫み痛くて脱げなく、やっと脱いでも立ち上がる事が出来ない。
宿に着いた安堵感で気が抜けてしまったのだろう。
これ程までに長時間歩くのがしんどいとは夢にも思わなかった。
本やテレビで見たのとは全く違う・・・遍路の厳しさをマジマジと教えられた一日であった。
遍路宿にはルールがある。
大体食事は6時頃なので5時頃までに宿に入る。
宿に到着した順からお風呂に入り、洗濯機もその順番で使って行くと言うルールだ。
これだと混雑する事もないし、宿の人も一度に片付ける事が出来る。
風呂で足に冷水をかけマッサージし、さっぱりした所で食事に向かうが、海外からの学生さんも宿に泊まっていた。
どうやら修学旅行的な感じで先生と生徒数人がいたが、男の先生は何故だかスーパーマッチョで女の先生は若かりし頃のキムベイシンガーを彷彿させる金髪美女であった。
この二人付き合ってるな・・・と直感で分かったが、邪な考えは神聖な遍路ではタブーだ。
その考えを即座に消し、食事前にスモーキングルームでタバコを燻らせていると、もの珍しそうに生徒達がこちらを覗いてきた。
スモーキングルームが、どうも珍しいらしい。
代わる代わる生徒が見に来てはこちらに手を振ってくる。
何か見世物のような感じにはなっているが、こちらも笑顔で返す。
そんなやり取りを数回したのち夕食の時間となり、食堂で食事を取るが、同じテーブルになった人達は殆どが歩き遍路さんであった。
歩き遍路さんには決まって言うセリフがある。
「どちらから来られたのですか?」
殆どがこのパターンで、これは遍路中ずっと続いたが、このセリフを皮切りにコミュニケーションが始まり、歩き遍路さん同士の情報交換となって行く訳である。
また、歩き遍路さん同士は共通の「歩く」と言うのがある為、ものの数分で打ち解けあい仲良くなってしまう。
これは例外がなく、どんなコミュニケーションが苦手な人でも決して辛い思いをする事はないだろう。
何故かと言うと、歩き遍路は、日中一人で黙々と長距離を歩く為、夜になり仲間がいると必然的に会話をしたくなるからだ。
感情で言う所の、人との繋がりが欲しい状態に陥る。
これは人間の本能。
また、宿の方も歩き遍路さん同士同じテーブルに座らせる配慮をしている。
だからこそ、寡黙な人がいたら喋りかけるし、退屈な時間を過ごす事はまずないといえる。
そんな歩き遍路同士で喋っていると、必然と会話が続き、お酒を飲む人だとついつい長居してしまうが、私は大のコミュニケーション好きであるから、いつも私のテーブルは賑やかで宿の人が「もうそろそろお開きで・・・」とお願して来る位、楽しい会話で盛り上がっていた。
この日も例外ではなく、初めて会った人同士意気投合し、昔からの知り合いと喋っているような感覚で宴は夜10時過ぎまで続いた。
その中には歩き遍路を何回も行っている人が数人いて、色々と役立つ情報を教えてもらい、今後の参考にメモを取り、明日に備え寝る事にした。
余程疲れていたのであろう、横になると直ぐに眠りにつき、朝まで一度も起きる事がなかった。
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