朝食はドンブリで3杯食べる。
いくら食べてもどんどん痩せて行くので、出来るだけ食べる。
朝食はどこの宿でも、梅干し、焼き魚、煮物、のりなどの質素なものだが、エネルギーを使いまくっているので、ごはんがおいしい。
また、沢山食べても、歩いているとエネルギーは消費し直ぐにお腹はすくので、食料を買える所があれば、そこでも非常食用を買い、その場でも何かを食べていた。
ここまで食べまくると、普通の生活ではデブまっしぐらだが、それでも痩せて行く遍路、恐るべし!
朝日を見ながら出発するが、このような道をずっと歩いていると今度は山道が恋しくなる。
人は刺激には慣れてしまうので、変化を入れないとダメな生き物である。
これを克服出来るのが習慣にしてしまう方法だ。
LEVELZEROでも述べている通り21日が必要となって来る。
体と思考と感情が一致し、全自動で回る様になるまで後9日、私はその日が来るまで目の前の1歩をただ踏み出して行くだけだ。
長い道も終わり、やっと室戸岬に到着。
室戸岬は地質遺産になっている場所である。
その他にも、弘法太子空海が行水をした場所、空海の法名を得た洞窟の御厨人窟などがある。
とくに、空海の時代の御厨人窟は今よりも海面が高く、洞窟から見えるのは海と空だけだったので、そこから空海と法名したらしい。
今は、洞窟から見ると道路が見え木も生い茂っているが、昔はこんな感じであっただろう。
室戸岬の主要な場所を訪れ、24番札所に向かう。
道中は思ったよりも坂がきつく、ケモノ道を歩いている感じだ。
大した距離ではないのだが、息も上がり汗がポタポタ落ちて来る。
もう少しすれば、3日ぶりのお寺である。
杖を軸に駆け上がって行くが、前方では最初の宿で会った大学生が息を切らして歩いていた。
もっと先に行っていると思っていたので吃驚である。
「どうしたの?こんな所で」
「いや、足を壊し思うように歩けないんです」
その大学生の方は室戸岬まで来る道中、マメの下にマメが出来、そこからは余り歩いていない様子だった。
これが、遍路の怖さである。
私も膝を痛めペースが落ちたが、無理に歩こうとすると、どこかに歪が出る。
まだ、何とか歩けるのであれば良いのだが、それ以上無理をすると結果リタイアするしかない。
「テーピング持ってる?」
「持っていないんです」
私はまだマメが出来ていなかったので、持っていたテーピングを渡したら喜んでくれた。
やっと最御崎寺に着き、休憩をしていると昨日の宿で一緒だった若い女性がやって来たので暫く会話をして別れたのだが、その数分後、何故か私の所に近寄って来た。
どうも様子が変だなと思ったが、どうやら一緒に歩きたい雰囲気なのである。
私は自分のペースで進み、歩きたい為、何とか言い訳をつけてその場で別れたのだが、次の津照寺に向かおうと坂を下ると、なんと、その女性、またワザとらしく私を待っているではないか・・・
しょうがないので、暫くの間一緒に歩く事にした。
最御崎寺を出た所は展望が良く遠くまで見渡せる。
しかし、遠くに見えるあの岬でもまだ通過点と思うと気が遠くなる思いであった。
昼が近づいて来た時、見覚えのある道の駅が見えて来た。
「あっ、ここ、全国コンサルの時、食事をした所だ」
昼食を取る為、その女性とはそこで別れたが、店に入ると先程のお寺で会った遍路さんが数人いた。
高知に来たらカツオのたたきでしょ、と言う事でカツオのたたき定食を注文するが、やはりうまい。
カツオはタンパク質が豊富なので、もう一皿貰うが、その時、隣に座っていた夫婦が喋りかけて来た。
旦那さんは元国家公務員でお堅いイメージではあったが、遍路に来ると様々な職種の人と知り合いになれるのが楽しい。
私が街で出かけるクラブや飲み屋などでも凄い方はいるが、こうも多種多様な人と巡り合えるのは遍路以外にないのではないだろうか。
仮にいたとしても会話する接点がなく、その点、遍路では共通点があるので、年齢、職種、関係なく直ぐに打ち解けてしまう。
現代はコミュニケーションで困っている人は信じられない位多いが、遍路に来るとその悩みも瞬時で解決してしまうだろう。
それだけの旅と言う事を自身で体験してまじまじと実感した。
その後津照寺に着くが、お寺の中に入って愕然とした。
本堂まで行くのに125段の急な階段を上がって行かなければならないのだ。
遍路寺には門を潜ってから、更に階段を使う所が多い。
長距離を歩いてお寺に着き、ホッとした所でもう一苦労しなければいけないのが精神的にきつく感じる。
皆、この階段をヒイヒイ言いながら上っていた。
しかし、上りきった所からの展望が素晴らしく、息を切らした事など忘れ見惚れる。
遠くの方で室戸岬が見えるが、今日一日であんな所から歩いて来たのだと思うと1歩踏み出す事の繰り返しがどれだけ大きな力になるのか、感覚ではなく意識ではっきりと理解出来た。
|