Day16

今日は35キロ以上歩く予定。

知らず知らずの内に30キロ越えが平気になっていた。

人の変化は恐ろしい物である、あれ程筋肉痛に悩まされ(今でも毎日だが)足が痛いのにも拘わらず歩けるようになるとは・・・当初歩き始めた時には想像も出来ない距離である。

普通、人が歩くスピードは時速4キロ。

と言う事は一度も休憩をせず約9時間歩きっぱなしで35キロになる。

私も急いでいるとスピードは出るが、そこまで速度を上げると足が痛くなるので、今は時速4・5キロ~6キロ位である。




同じ宿だった人に挨拶し別れ、暫く歩くと金髪外人ギャルが一人でウロウロしていた。

恰好からして遍路さんである。

どうやら道に迷ってしまったようで、分かりやすい道に出るまで一緒に歩く。

しかし、でかい・・・お尻が。

顔立ちははっきりしていて、かなりの美人である。

遍路中でなければ飲みに誘うのだが、遍路は不邪淫と言う掟があるので不謹慎な事は出来ない。

その女性はオランダから来たらしく高知県を区切り打ちして帰り、2年後に愛媛県を廻る予定らしい。

その女性に英語版の遍路のガイドブックを見せてもらったが、かなり詳しく書いてある。

このガイドブックは外国の方は必ず持っていた。

話を聞くと、世界中旅行に行っておりカミーノの道も歩いて来たらしい。

しかし、遍路はまた別格で、これ程面白い旅はないと言う。

カミーノの道であれば一直線で、そこまで起伏がない道を歩くが、遍路は、難所の山あり谷あり、川あり海あり、田舎道、街中、国道のアスファルトなど、迷路のようにお寺を駆け廻るので、これ以上の旅は世界中探してもないと言っていた。

確かにそうかもしれない。

体がクタクタになるまで歩き、自分の限界を超え続ける経験は、歩いた人でないと分からないだろうが、とんでもない充実感なのである。

その女性とは、遍路マークが貼ってある分かりやすい道に出た所で、何か困ったら電話してと番号を交換し別れた。


暫く行くと、ここら辺は、遍路がそのままバス停や名物になっている事に気が付く。

 

遍路道は世界文化遺産登録も推し進めているらしいが、歩いていて思ったのはトイレ休憩に困る事かもしれない。

男ならばなんとかなるが、女性の場合そうもいかないので困ると思う。

また歩き続けると水分を補給しなければいけないので、その分トイレにも行きたくなる。

通常の生活であればトイレに行くのは一日に5・6回程度だと思うが、遍路では15回位は行っていた。

とは言っても、トイレを作るのにお金はかかるし、掃除の問題とかがあるので簡単には行かないだろう。

まぁその分、今の社会はコンビニやガソリンスタンドがあるので、かなり助けられたが。




順調にお寺を廻り、やっと高知市に突入した。

道を確認しようと地図を広げると、原付に乗ったおじさんが寄って来て、途中まで案内してくれると言う。

このおじさんは小さい頃、親に連れられて徳島一の難所焼山寺に登ったらしいが、あまりにきつかった事を覚えているらしい。

「まだか、まだか、まだ着かないのか、山を登って一安心したら、また次の山、子供心ながら嫌だったな~」などと話していた。

そう言った経験をしている為、歩き遍路さんを見ると尊敬してしまうらしい。

「半端な精神力じゃ出来ないでしょ?」と聞かれたので「もう、毎日必死ですよ」と、私は答えた。

本当に必死だったからである。

足が痛くてヨチヨチ歩きになる事もあれば、歩く事に意欲が沸かない時もある。

もうやめてしまえば?何で歩いているの?などと、脳裏に過る事もある。

歩く事に不慣れな私には遍路はギリギリの戦いであった。




そのおじさんとも別れ、お寺に着くと野宿しながら逆打ちで廻っているお遍路さんと遭遇した。

逆打ちは遍路マークが張っていなく、遍路地図も順打ちの仕様になっている為、見にくく、逆打ちで廻りきるのは至難の業である。(その分順打ちの3倍の功徳があると言われている)

「逆打ちは大変じゃないですか?」と聞くと「毎日道に迷って人に聞きながらここまで来た、昨日なんかはトイレで寝たよ・・・」などと言う。

昔はお寺さんでも通夜道と言う遍路さんを泊める場所があったのだが、一部の心ない人が、ゴミを散らかしてしまう為、使わせてもらえなくなったらしい。

そこで、昨日善根宿で貰った四国の野宿スポットが羅列されている資料をあげると大変喜んでくれた。


納経を済ませると、その納経所の若い女性が喋りかけて来た。

住職の娘さんなのか、働いている人かは知らないが、ある程度喋っていると、ある事に気が付いた。

そこで販売しているレインコートにでかでかと「小雨に強いです!」とのキャッチコピーが書いてある。

小雨に強いだけのレインコートは必要ないだろと思い「大雨には弱いの?」と聞くと、ゲラゲラと笑い、嘘は書けないのでと言う。

「売れてる?」と聞くと「売れてません」とゲラゲラと笑う。

「誰がこのフレーズ考えたの?」「私・・・」豪快な女性であった。




五台山にある竹林寺に向かうと、面白い道に入って行った。

どうやら、牧野植物園の中を通って行くらしい。

しかし、この道、小さい山道ながら急な坂を上がって行くので息が切れる。

私の大嫌いな、すずめ蜂もブンブン飛んでいるので気が気ではない。

そうこうしている内に牧野植物園の裏の勝手口みたいな場所から竹林寺に出た。

 


竹林寺はかなり立派である。

 

お寺によっても豪華なお寺と、そうでないお寺など様々ある。

竹林寺では結婚式が行われていて、幸せそうな夫婦が誕生していた。

来ていた遍路さんも皆、祝福しおめでとうなどの声をかけている。

私もおめでとうございますと言うと「ありがとうございます、お気をつけて」など気を使ってくれるのが嬉しく、やはり四国の人だなと感じた。


竹林寺を後にして禅師峰寺に向かうが、その途中、武市半平太の旧宅とお墓を見つけた。

以前、車で来た事はあったが、まさかこの道が遍路道だとは思ってもみなかったので吃驚した。



と言う事は、武市半平太も江戸時代には遍路さんを沢山見てきたはずだ。

今回の目的は幕末観光ではないので、そのまま通り過ぎたが、また訪れたい場所である。



禅師峰寺に向かう頃にはもう足がパンパンに張れていた。

もう既に午後2時、25キロ以上は歩いている。

気合で後15キロは歩けそうだったが、お寺の数が多いと距離はそこまで延ばせない。

大体一つのお寺で20分位は要するし、団体さんと重なった場合には納経で待たされる事も考えておかないといけない。

また、納経は午後5時まで、宿に入るのも午後5時位までだから、その分を計算して宿の予約をする。




禅師峰寺は山の上にあるが、そう高い山でもない。

しかし、疲れ切っている時に登ると足に堪える。



それを見通してか、登りきった所に看板が立っていた。



更に、一安心した時の階段上がりが待ち構えている。



こう言うパターンはきついが、登りきってしまえば絶景が待っている事が殆どである。

やはり、海、と山側、両方絶景であった。

 

これがあるからこそ、キツイ道でも楽しいのかもしれない。

また、登ってしまえば今までのキツサもコロッと忘れてしまう。


さぁ、今日は後一息だ、気合を入れ直し桂浜の方に向かう。

宿で今日の工程を話すと皆に吃驚され、お寺さんがない道であれば、あなた1日40キロ以上は平気で歩けるよと言われた。

初心者のへたれが健脚に成長して行く。

そう、最初の頃、40キロは夢物語と思っていた事が現実味を帯びてきた瞬間でもあった。

そして、8回以上歩き遍路をしているお遍路さんから、私の足に合わせた距離でお勧めの宿をピックアップしてもらい遍路道の攻め方のルートも詳しく教えてもらった。

その作業、2時間・・・大変ありがたい事である。


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