朝5時、宿を出る。
まだ、辺りは暗く懐中電灯を照らしながら歩くが、やっと日が昇って来た。
そのまま黙々と歩き続けたら遍路小屋を見つけたので休憩をとるが、そこはゴミが散乱していた。
まさか遍路さんではないと思うが、自分で食べた物を何で片付けられないのか不思議に思う。
幸い少し離れた所にゴミ箱が備え付けてあったので、そのゴミを清掃すると、その奥からニャ~と言う、か細い声が。
痩せ細った1匹の野良猫が泣きながらすり寄って来たので、朝コンビニで買って来たソーセージあげると夢中で食べていた。
それを食べ終えると山の中に消えて行った。
私も休憩を終え、ダンプカーの行き来が激しいトンネルを潜り抜け宇佐湾に出る。
朝日に照らされた海は気持ちが良い。
先に見える島には高校野球の常連校、明徳義塾がある場所だ。
毎日こんな景色を見ていたらどんな気持ちになるんだろう、などと考えながら宇佐大橋を渡る。
大自然を歩くお遍路をしていると、一体、街での暮らしは何なのであろうか?と言う疑問が浮かび上がってくる。
人と比べまくる人々、心痛めるニュース、ストレスだらけの社会、全てが虚しい。
私はこのお遍路に出てから、殆どテレビや新聞を見ていない事に気が付いた。
見る時間が全くないからであるが、その膨大な垂れ流しの情報をシャットアウトすると、こんなにも清々しいのか?
ひょっとして、負の情報をインプットしていたのでは?と、思うようになった。
歩き遍路に出ている方は殆どテレビや新聞を読む時間がないので、負の情報はインプットしないが、その点でも遍路は心を開放するのかもしれない。
36番札所青龍寺に着く。
この頃になると、通しで歩いている人は何かしら足の痛みを抱えている。
私があったおじさんは足を引きずっていたし、おばさんは足首を痛めていた。
私も例外ではなく、足全体の筋肉痛に悩まされていたが、何とか今の所歩いている。
しかし、寺に着いてからの階段はやめて欲しいものである。
と言っても、この階段は明徳義塾に相撲留学していた元横綱朝青龍が稽古をしていた場所で、朝青龍の名前もこのお寺、青龍寺が由来である。
そんな由来を知っていたので、このお寺の見学は少し長めにしてから出発をした。
さぁ、ここから次の札所まで58キロ、そこから四万十市を抜け足摺岬だ。
まだまだ遠いが、顔を洗い気合を入れ直した。
ここからルートが2つに分かれる。
来た道を戻り海沿いを歩くか、山の上を歩いて行くルートか。
本来、山の上のルートを行く予定であったが、どうしても郵便局による用事が出来たので、来た道を引き返し海沿いに歩いて行く事にした。
「あっ!」
来たルートを戻る途中、2日目の宿で一緒だった人と偶然再会した。
「あれ?もうここまで来たんですか?私の方がずっと早いと思っていたのに」
その方は私がここにいる事を吃驚している様子だった。
私が膝を壊してから皆にドンドン追い抜かれ、もう追いつく事はないなと思っていたが、どうやらここ最近の頑張りで追い抜いてしまっていたらしい。
その方と、今までにベテラン遍路さんから教えてもらったお勧めの宿泊先の情報を交換し別れた。
歩き遍路の面白い所は、2・3日単位で顔ぶれがガラッと変わって行く所である。
1日に歩く距離はそう変わらないので、2・3日はお寺さんで見かけたりするが、1日に2・3キロ余分に歩くだけでメンバーがドンドン変わって行く。
また、アクシデントなどで距離を延ばせないと、その反対もありうる。
新規の人に出会ったり再会したり、とにかく頑張っている仲間に会うと懐かしく刺激的で面白い。
郵便局で用事を済ませた私はその後も歩き続けたが、昼過ぎになると暑さと足の疲れでだるくなって来た。
今日は既に7時間以上歩いているが、後、10キロ以上、2時間は歩かないといかない。
歩き遍路をしている人は、まだ涼しい午前中に歩く距離を延ばすが、午後になると暑さと疲れからそこまで距離を延ばせなくなる。
「お四国さ~ん」
急に車が止まり、車の中から中年女性が下りて来て、みかんを貰いお接待を受けた。
どうやらこの女性、先日結願をして家に帰る途中らしい。
結願をしたとの事なので「おめでとうございます」と言うと、とても幸せそうな顔で喜んでいた。
普段の日常でここまで幸せそうに笑う人は余り見かけないな・・・遍路にはそうさせる力があるんだろうと強く思う。
暫くし、道の駅で休憩をしていると、「もうビール飲んでいるんですか?」と、はじめて見る顔のお遍路さんが喋りかけて来た。
「いや、これノンアルコールビールです、さすがにビール飲みながら歩けませんよ」
そう、私は喉が渇いたのでノンアルコールビールを飲んでいた。
その方は今日から区切り打ちで歩きはじめたお遍路さんで、1週間の予定で行ける所まで行くと言う。
先程宗教の勧誘に捕まって大変だったと豪快に笑うこの方とは、不思議と縁があり、その後の宿では一緒になる事が多かった。
通しで歩くと自分の限界をドンドン超えて行く為、成長や達成感があるが、区切り打ちで廻ると常に新鮮な気持ちで遍路が出来る為、それはそれで良いなと思う。
この道の駅で休憩をしていると知った顔の遍路さんや、新しい遍路さん(車、歩き両方)が集まりそれぞれ自分の旅を満喫していて楽しい時間を過ごしているようだった。
午後3時、宿まで後3キロ。
重たい足を引き摺りながら歩くが遠い・・・
午前中の3キロはあっと言う間だが、散々歩いた揚句、午後3時からの3キロは途轍もなく遠く感じる。
肩に食い込むザック、気怠い暑さ、足の痛み、杖に力を入れ前に進む。
やっとの思いで宿に到着するが、ふくらはぎが痛くて靴を脱ぐだけで激痛が走る。
「大変でしたね、ご苦労様」
出迎えてくれたおかみさんが労いの言葉をかけてくれた。
遍路を始めたばかりの頃、歩けないと思っていた距離の40キロが歩けた。
これが今後の自信となり40キロ越えを連発して行く原動力となるのであった。
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