Day21

朝、宿代を精算すると、「はい、これ」と、お弁当を渡された。

「え!弁当までもらえるんですか?」

「ごはん余分に炊いたから今日だけは特別に」

2食付、しかも夕食、朝食は大サービスで弁当まで貰えたら破格の値段。

と言うか、儲けがない位である。

遍路宿で一番愛想のない宿から一番サービスが良い宿に変身した瞬間であった。

その変貌ぶりに他のお遍路さんも目をまん丸くしていた。


宿を出ると、他の宿に泊まっていたお遍路さんに会い、宿で酷い目にあったと文句を言っていた。

その話を聞いて、どこにでも同じような事は起こるけどその後の対処次第かな・・・などと思う。

しかし、私とて毎回盛り上げるのは疲れてしまうので、最初から愛想が良い方がいいのは当たり前である。





朝日が昇る海岸性沿いを歩く。

今日、この時を待っていた。

そう、今日で3週間、行って来た事が習慣になる日である。

私の場合は、その数日前から歩くのが苦にならなくなっていたが、今は何というか・・・歩くのが当たり前、どちらかと言うと歩くのが楽しいと思えるようになっていた。

歩いてクタクタになる達成感、限界への挑戦、刺激や冒険心、変わりゆく景色や人々、未来への期待、全てが楽しい。

また、習慣になると全てが全自動で回って行く。

感情、肉体、行動などなど。

これから先は余程のアクシデントがない限り、何とか88か所を廻りきれるだろう。


そう思っていた、その時は。

しかし、現状維持システムがそれを拒む典型的なパターンに嵌る事にその時はまだ気が付かなかった・・・





海岸性沿いを歩き、国有林の中を歩き続ける。

山もそうだが、森林から発生するフィトンチッドと言う物質が人にリラックス効果を与えるので、歩くだけでほのぼのとして来る。

特に遍路は国道以外そんな道ばかりである。

だからこそ、遍路を廻れば心の病が一発で治ると言うのも大袈裟ではないようだ。

人は何千年もの間、自然と共に生き暮らしてきたが、便利さを追求するあまり、この数十年で急激にバランスが崩れてしまったのかもしれない。

本来大切な物、突き詰めると精神的な満足感。

それを情報や物で埋め尽くそうとし、足りない物を探し続けて行く負のスパイラルに嵌りこんで行く。

もっと自然体で良いのでは?

人と比べ勝っているとか負けているとか言っていては、いつまで経っても自分が劣っている事を再認識する作業ではないだろうか?

例え、その人に勝っても一時的な満足で、直ぐにまた誰かと比べてしまう。

それを成長と勘違いしている人が多いが、成長とは自分自身と比べる事であって、他人と比べるのは全く違う。

これでは死ぬまでストレスだらけの不満足感を背負い生きて行く。

本来、異常に人と比べてしまう人は、ほぼ、トラウマを抱えているので、今ある物に感謝しつつ、自分は自分で成長して行くのが、今の複雑な時代だからこそ、一番大切なのかもしれない。





最後の清流、四万十川に差し掛かる頃、新しく遍路宿を始めた人がチラシを配っていた。

遍路宿は最新の地図を見て電話しても繋がらず潰れている所も多い。

辞めてしまった宿があれば、新しく始める宿もある。

特に遍路のお客さんだけを相手にしている宿は、シーズン中(春と秋)は良いが、オフシーズン(夏と冬)は、ぱったりとお客さんが途絶え、宿の経営だけではやっていけないと言っていた。

そんな、事情から辞めてしまう所も多いようだ。



 

遍路道沿いのドライブインで、小休憩をしようと立ち寄った時、大きなリヤカーを引き、頭を丸めたプロレスラーみたいな遍路さんが、他の遍路さんと野宿談義をしていた。



その内の一人は会社の会長であるのにもかかわらず野宿で遍路をしていると言う。

「いや~若い時の冒険がしたくてね、さすがに野宿ばかりは無理だけど、この歳で野宿をすると、ぬるま湯に浸かり過ぎた自分を戒める良い経験だよ」

どうも若い時、バックパッカーで全世界を周っていたようで、そこからはがむしゃらに働いて今の地位を手に入れ、最終的に遍路に魅せられたらしい。

本当に遍路には様々な人がいる。

裕福になりたくて頑張って来たけど、もがき続けた若い時代が一番楽しかったのかもしれないとは、中々言えない言葉である。

勿論、今が裕福なので過去を振り返る事が出来るが、今も必死であればそんな余裕はないだろう。

遍路道を歩いて来てそう思う。

必死な時は今の道を歩く事だけしか考えられないが、少し余裕が出来、歩いて来た道を振り返ると、その過程が今まで成長させてくれたんだと。

そのプロレスラーの遍路さんは既に足摺岬の38番金剛福寺を打ち、39番延光寺に向かうらしいが、その会長さんは偶然にも今日の宿が同じだったので、「それではまた後で」と言いそこで別れた。

毎日が辛い道のりだけど、こんなに刺激的な旅ってないな・・・私は遍路の魅力に取りつかれていた。



 

昼頃になり、コンビニで昼食を取ると足を引き摺ったおばさんが歩いて来た。

「足痛めたんですか?」

「筋肉痛が酷くて・・・」

今日から遍路をはじめた人でない限り、筋肉痛になっていない遍路さんは一人もいない。

程度の大小はあるが、皆、足がパンパンなはずだ。

私も休憩をした時は、必ず足を伸ばしストレッチする様に心がけていた。

「僕も酷い筋肉痛で毎日戦いですよ」

と、そんな話をしていたら

「お~い、お四国さん達、休憩するならこちらで休憩して行きなさい」

お接待をしている人から直ぐ近くの家に案内され、そこでコーヒーやお菓子のお接待を受けた。

そのおばさんお遍路さんは、昔バスツアーで遍路を廻ったが、歩いて頑張っている遍路さんに感化され、よし、今やるしかない!と、発心して来たらしい。

しかし、毎日がきつくてきつくて・・・と、嘆いていた。

でも、区切りで打つので年月はかかってもやり切ると言う。

歳を取ってもお遍路さんをやる人は意識が非常に高い。

殆どが経営者や、定年退職をした人だが、年齢がいくつになってもチャレンジし続ける人が歩き遍路には集まっているように感じる。

勿論、そうでないと1200キロの辛い歩き遍路なんて、はなからしようと思わないだろう。

だから、その境遇に身を置くと、こちらがモチベーションを貰い、元気を貰う。

その年齢になっても(70歳80歳)まだまだ前進して行けるんだと。

この意識の変化は私にとって一生の財産である。



夕方宿に着き、ドライブインで出会った会長さんや新規の遍路さんの方と有意義な話をさせて頂いた。

年齢が離れても話しは合うのか?と、思われるかもしれないが、私は元々老若男女関係なく話が出来る。

また、意識の高い人の話はこの上なく面白い。

一番ダメなのが知ったかぶりばかりで、人の悪口や否定を言い、やたらと執着心が強い人。

そんな人にかかわると負のオーラとモチベーションを下げられ最悪だが、遍路さんでは、そう言った方はまずいないので誰と話をしていても楽しい。

皆、私の年齢で遍路が出来るのが羨ましいと言っていたが、私は皆さんの年齢で前向きな所が素晴らしく勉強になった。


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