45キロ。
マラソンよりも長い距離である。
野宿ならば宿に入る時間を気にしなくて良いので、ゆっくりと歩けばよいが、宿を予約していると、食事の時間に間に合うように午後5時までには着かなければいけない。
朝、入念にストレッチをして宿を出る。
時間は午前6時30分。
「よし、行くか!」心の中で気合を入れ愛媛県に向かう。
もう今となっては歩く事に抵抗はないし、30キロ程度の距離では物足りなくなっている。
遍路に出てから距離の感覚が麻痺しているようだ。
勿論45キロ歩くのは人生初だし、街で暮らしていたら1キロでさえ歩こうと思わない。
何なんだろう、この意識の違いは。
愛媛に抜ける道は松尾峠を越える山道と国道56号線を行くルートがあるが、山道は抜けるまでの時間が計算出来ないので、国道を行く事にした。
国道を歩いているとどこかから黄色い鳥が飛んで来て、私が進む度に飛びながらついて来る。
滅茶苦茶可愛い。
ん?待てよ・・・
昨日の蛇と言い、遍路中纏わりついて来る蝶と言い、黄色い鳥と言い、未来に変化があるのでは?
運は常に良いのだが、どちらにしても気分は良い。
何を隠そう、私の一番好きな色は黄色。
さすがに普段の服装で黄色を着ていたら派手すぎて馬鹿みたいだが、今回お遍路の靴も黄色、レインコートも黄色、ザックは容量と機能性を考えたら黄色はなかったので、黄色に近いリーフグリーンになったが、それ位黄色は好きである。
長かった修行の道場高知を抜け愛媛に突入する。
高知は修行の道場と言う事もあり、ただ歩き続けるだけの道が多く苦しかったが、成長させてくれた道だった。
多くの出会いと別れ、多くの人に支え勇気づけられ頑張って来られた、本当に感謝しかない。
朝から歩きっぱなしで喉がカラカラ・・・自動販売機で水を購入すると、何と1本当たりが出た。
この後の旅でもかなりの確率で1本当たるようになった、不思議である。
午前10時30分、40番札所、観自在寺到着。
20キロの距離を4時間かかったのでペースとしてはやや遅れたが、遍路を始めた最初の頃、20キロ歩くのに1日かかっていた事を考えるとかなりの成長だ。
反対に何で20キロに一日かかっていたのか不思議でならない。
お寺を見学してからどこかで昼休憩をしようと思ったのだが、町中なのに食事できる場所がない。
遍路中、出会う町には薬局、床屋はあるが食事できる場所が中々ないので本当に困る。
それでも何とか地元のスーパーを見つけたので、そこでお弁当を購入し休憩をするが、一息ついてからの25キロは気が重い。
もう一度靴紐を結び直し、気合を入れ歩き出す。
晴天の中、緩やかな坂道を歩き続けやっと愛媛の海に出た。
高知の荒波と違い、とても穏やかな海が一面に広がる。
誰でも経験はあると思うが、いきなり海が現れる光景を目にするとやはり感動する。
この道沿いに少し大きめの遍路小屋があり、そこには野宿している2・3人の遍路さん達がいた。
「彼達はどう言った思いで旅を続けているんだろう」
今日は時間的余裕がないので、そこには立ち寄らなかったが、人生は一度きり・・・そんな事を考えていた。
午後3時、急激にペースが落ちて来る。
海からの照り返し、12キロのザックを背負い連日のハイペースでの40キロ越え、ここに来て足が棒になった様に重たくなる。
後、5キロ・・・後3キロが遠く、きつい。
歩く速度も5キロ、4キロ、3キロと落ち、歩けなくなってきている。
これが限界を超える瞬間なのか?
通常であれば、5キロ歩くのに1時間もかからないが、最後の5キロ歩くのに2時間もかかり午後5時、宿に到着した。
昼以外、殆ど休憩をしていないので、10時間ハイペースで歩き続けた事になる。
疲労感はマックス、心臓はバクバクし、部屋に行くのも辛い。
お風呂が空くまで待っていたら、その場で眠ってしまっていた。
夕食時、その事を話すと吃驚された。
野宿ならば時間をかけて休みながら歩けるが、連日の40キロ越えをハイペースで歩くのは尋常ではないらしい。
今日の宿には、老夫婦の遍路さんと、私の3人である。
そのご夫婦さんは、気品があり貴族みたいな人で、どこから見ても育ちが良さそうな感じ。
奥様は社長令嬢、旦那様は由緒正しいお家柄の雰囲気が出まくっている。
と言うか、その雰囲気は作って出る物ではないので、本当にそうなのだろう。
食べ物を食べる時でも「おいしゅうございます」とか、普段聞きなれない言葉が出て来るので、どうしようかと思ったが、そこは私である。
あっと言う間に打ち解けて、盛り上がってしまっていた。
旦那様は饒舌になり、奥様はクスクス笑う。
「あ~おかしい・・・何年振りだろう、こんなに笑ったのは、本当に楽しい旅ですわ」
と、奥様に言ってもらったので、同席出来て光栄であった。
私は明日も40キロ越えをするつもりであったが、旦那様の一言で考えを変えた。
「旅は急ぐものではないよ」と。
「急ぐ場合も時にはあるけれど、出来るだけゆっくり行きなさい、そちらの方が遥かに自身の為になるから」と。
考えて見れば、その通りであった。
歩ける事に挑戦する為、ここ最近は距離を延ばしたが、これ以上早く歩けるからって、ただのスタンプラリーにしかならない。
今日も宿の時間に追われ、景色もろくに見られず、気持ちに余裕がなくなっていた事は否めない。
あるのは極限的な肉体疲労と、壮絶な達成感だけ、つまり自己満足の世界である。
本来の目的「見て、聞いて、感じる」の目的を見失う所であった。
旅には往々にして気付かせてくれる人や、物事を軌道修正してくれる人がいる。
今日も大切な出会いに感謝した。
|