Day28

ザックを背負って立とうとするが、まだ腰が痛い、ふくらはぎも半端ない筋肉痛である。

部屋の中を少し歩くだけで激痛が走るが、ここまで来てリタイアはしたくはない。

この現象は最後の抵抗、現状維持システムが働いているなと分かった。

今まで様々チャレンジをして来たが、小さな抵抗をいくつも乗り越え順調になって来た時、決まって最後に大きなアクシデントがおこる。

その最後の抵抗で多くの方はチャレンジをやめてしまい、元の生活に戻って行くが、これを乗り切ると次の世界が待っている。

即ち、ワンランク上のステージである。

人間は本能的に今の世界に留まる様に出来ている。

何故なら次の世界は未知で危険が待っているかも知れないからだ。

だからこそ、様々な障害が降りかかり、安全な今の世界に留めようとする。


このカラクリを知っておくと、あ~今抵抗しているなと良く分かるようになる。

また、何かにチャレンジした時、最後に決まって大きな試練が襲い掛かってくる事を覚えておいてほしい。(勿論自分を変えるようなチャレンジの事)

その時、後ひと踏ん張りすると、次の世界にポンと飛び出し、以後、嘘のようにアクシデントはおこらなくなる。


これが、成長の仕組みだ。

人は何かにチャレンジする度に、この過程を何度も繰り返し成長する。

私はもう幾度もこの経験をしているので、これが最後の試練だと言う事は直感的に分かった。

そんな抵抗に負けない為に、1時間入念にストレッチをしてから宿を出発した。



 

宿から暫く歩くと嫌なトンネルが出て来た。

そう、白線だけのトンネルである。

入り口に反射板ボックスがあったが、中を見てみると一つだけ反射タスキあったので、それを着用し懐中電灯を照らしトンネル内に入って行く。

 

正直、トンネルも今までにかなりの数通って来たので慣れてしまったが、白線だけのトンネルは車が通る度に音と風圧が凄く、毎回気を引き締めなければいけない。


そこから三坂峠に向かうまで、延々と緩やかな坂を1時間以上は上がって行くのだが、この坂がかなり体力を消耗する。



やっと、標高720メートルの三坂峠に到着。

  

昔の人はこの峠を往復するのに一日かかったと案内にはある。

余りの過酷さから歌にもなっているらしい。

この三坂峠からの下りは数キロに渡って続いており、膝を痛めている人ならば下るのは無理だろう、それ程険しい。

私も膝が回復とは言っても安心は出来ないので、膝を庇いながら下りていくが、どこまで行っても下り、下り、下りだ。

この坂を、逆打ちで登って来る人はかなり大変だろうなと思っていたら、ヒイヒイ言いながら登ってくる逆打ちの人が本当にいたので吃驚した。

「お疲れ様です」

「ハァハァ・・こ、こんにちは・・ハァハァ・・」

と、かなりきつそうだ。

この坂だけは逆打ちで登って来たくはない。





麓に到着した時には汗だくで、後ろを見上げると、あの山から下って来たのかと、足がふらついていた。

その時、蛇が1匹現れ、これで遍路に来てから蛇を見るのは3回目である。

直ぐに逃げて行ったので種類は分からなかったが、まむしだと思う。

 

その後は順調に46番浄瑠璃寺に到着するが、そこの納経所のおばあさんが、今の時間帯でここならば50番か51番まで行けるよと教えてくれた。

元々私は、51番までと決めていたので、その周辺で宿を予約していた。


予約で思い出したのだが、自分の都合でキャンセルする遍路さんが多いらしい。

私は一度予約したら、昼前に宿についてもどこかで時間を潰し、遅くなる時は休憩を一切せず、無理してでも行くようにして来た。

それを、思ったよりも歩けそうだ・・・などど、自分の都合で当日の昼間とか夕方にキャンセルする人が多く、宿の人も困っていた。

予約が入っているばかりに、他の方の予約を断り、当日の昼頃には夕食の準備の為、生ものを仕入れているのでドタキャンは宿の人ばかりか、そこに泊まりたかった人の迷惑にもなる。

今までの宿でも結構、こう言った突然キャンセルは多く、一緒になった遍路さんでもそう言う人はいた。

また、予約したのに電話でキャンセルもせず、宿にも表れない人もいるが、それは論外だろう。

自分の都合だけで周りに迷惑をかけていては、何の為に遍路をしているのか意味が分からない。

しかし、本当に体調が悪かったり、足が痛く歩けなかったりした場合は宿の人も快く承諾してくれる。



  

 

46番から51番までは殆ど距離がなく直ぐに着いてしまうが、一つのお寺で20~30分時間がかかってしまうので51番にお参りするのは明日の朝に変更しそのまま宿に向かった。

夕食時「あなた道中私を凄い勢いで追い越しませんでしたか?」と聞かれたので「いや、普通に歩いていただけです」と答えたが、今までの習慣でどうやら早足になっているようだった。

その方は定年退職された人で3か月かけて遍路旅をしているらしく、お酒を飲む度に「幸せだ~幸せだ~」と言っている。

それを見ているこちらまで幸せな気分になって来るが、波長や波動は伝染する。

嫌味な人の近くにいれば、心がギスギスして来るし、モチベーションが高い人の近くにいればこちらもやる気になる。

だからこそ、明るい人の近くにはいつも人が近寄ってくるのだ。


遍路旅でも愛媛に来る頃には皆さん意識が変化して来て、今まで何とも思わなかった事に感謝し、幸せの基準がグッと高くなって来る。

これは皆さんが言っていた事だが、歩ける体に産んでくれた親に感謝、歩けるだけで感謝、生きている事に感謝、と。

日常での暮らしでは、当たり前に自分に備わっている事には感謝をし辛い。

自分の足りない物ばかりに目が行き、人と比べまくり、当たり前の事に幸せの種がいくらでもある事に気が付かない。

そして、人を蹴落とし、一つ手に入れ、もう一つ手に入れても、何時まで経っても喉は渇き満たされない。

これは、ストレスを自分で作り出している現象だ。

それが分からず、他人のせいにし、自分を正当化しようとする。

更に、ストレスを発散する為にお金を使い、お金が無くなる事で不安になる。

この負のスパイラルに嵌ると、抜け出す事は非常に困難で、どこかで大きな変化をしない限りは一生この繰り返しをして行く。

これは本などで読んで意識的にいけないと分かっていても、自分で何かを体験して心底そう思わない限りは難しいのかもしれない。

しかし、周りに幸せの基準が高い人ばかりに囲まれていると自然と伝染する。

お遍路はまさにそんな場所なのである。


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