Day3

朝6時に朝食を取ると皆直ぐに出発をして行った。

私は仕事を行ってからの出発だったので宿を出るのが一番後になってしまったが、どのみち今日は足が言う事をきかないのでゆっくりと行く事に決めていた。


12番の焼山寺には11番の藤井寺に入り脇道を通って登って行くが、まだ朝だと言うのに団体さんで賑わっている。

団体さんを取り仕切るツアー会社の人はその方達の納経帳を纏めてバックに抱えている為、随分と大変そうだ。



山に登る前に一息ついて気合を入れ直すが、入り口の看板には焼山寺まで健脚5時間、平均6時間、弱足8時間と書かれている。

これは、ザックを背負っていない時間なのかどうかは定かではないが、私にはこの山を登りきる時間は見当もつかなかった。


入り口から少し登り始めるといくつものお地蔵さんが立ち並んでいる。

随分と古そうだが、最後まで残った空海の道と書かれている事から察すれば、遥か昔から遍路する人が通って来た道なのは間違いない。



どんな思いでお地蔵さんを見ていたのか、どんな思いで焼山寺の道を歩いていたのか、そんな事を考えながら山を登って行くが僅か20分足らずで汗が滴り落ち、息が上がる。

まだ、登り始めだと言うのに焼山寺の道は半端なくキツイ。



事前の情報で焼山寺までの登りはペットボトル2本持って行った方が良いと教えてもらったが、2本と言う事はそれだけで1キロある。

重量が増えるのは嫌だが迷った末、2本持って来る事にしたがこれが正解だった。

なにせ汗を掻く量が半端ではないので、水分を小まめに取らないと体が持たないからだ。


息を切らしながら歩いているとベンチに腰を掛けて座っている人から休憩をして行きなさいと、みかんをもらい焼山寺の詳細を教えてもらった。

どうやら、山の途中で湧水があり、そこで水分を補給出来るとの事。

しかしそれを逃したら焼山寺まで水はないので気を付けるようにとの事だった。


汗が少々引いた所で登りを再開するが、足だけではなくジワジワと腰にダメージが来ている。

元々激しい筋トレをすると腰が決まって痛くなるので、今回も気を付けていたのだが、ここに来て何かやばい感じになってきた。

足と腰、両方痛めてしまってはリタイアするしかない・・・

そんな不安と闘いながらやっとの思いで頂上まで辿り着く。



山の頂上からは町が一望出来、昨日訪れた10番の切幡寺も微かに見えるが、それを見てあんな場所から歩いて来たんだ・・・と言う達成感も沸いて来た。

しかし、焼山寺はここからが本番で急な坂を下り、もう2回山越えをしなければいけない。

少々ペースを早めにした所でその悲劇はおこった。

急なくだり坂を下りる時、腰を庇う余り膝を壊してしまったのである。

「やってしまった・・・」これが遍路ころがしと言われる所以か・・・

一段坂を下りる度に、荷物の重量が伸し掛かりズキンと膝に響く。

老人が良く膝が痛くて歩けないと言うが、自分で経験しその痛みが良く分かった。

何とか金剛杖を支えにして今度は膝を庇いながら歩く。

暫く行くと教えてもらった湧水が出ている所があり、そこで水分を補給するが、この時点でペットボトル1本を飲み干してしまっていたので大変ありがたかった。

 

山を下ってから今度はまた登りになるのだが上を見上げると気の遠くなるような道のりに何か嫌気が差して来る、休憩もその場に座るのではなく、その場で立ったまま休憩をすると随分と体が楽になる事が分かった。

これは一度座ってしまうと張りつめた緊張の糸が切れ、気が抜けてしまうので、歩きはじめた時に痛みが全身に走るが、立ったまま休憩し歩きを再開すれば、気は張ったままなのでダメージはそこまでない。

何か目標達成に似ているなと感じた。

目標達成も気分転換位の休憩ならば、良い起爆剤になるが、一度大きな穴をあけてしまうと、次、再開する時に、かなりの労力が必要となる。

と言うか、面倒臭くなりそこでやめてしまう人が圧倒的に多い。

そんな経験はないだろうか?

また、山を登る時、常に頂上を見ながら歩くと途轍もない遠い道のりに見えるが、頂上を意識しつつ、目の前にある段差だけを見て1歩ずつ上に登って行けばやがて頂上に出る。

意識的にも目の前の段差だけを見てあがる方がずっと楽である。

目標達成もこれと同じで、ゴールはあるが常にゴールを意識するのではなく、毎日の積み重ねを着々と行って行けばいつかは必ずゴールに到着する。

焼山寺ではその過程を嫌と言う程、体験させてくれる場所でもあった。




2つ目の坂を下る時には膝の痛みが増して来たので、常に金剛杖を支点にして坂を下って行くが、この時点で杖の使い方は座頭市よりもうまいのでは?と言う位に使いこなしていた。


昔、たまに山登りをしていたが、殆どの方が杖を持っているのに対して、私は一回も杖を使った事がない。

必要がないと思っていたからだが、今回の出来事で杖がどれ程大事なのかを教えられた。

まさに同行二人、杖は空海の支えとして遍路道はある。

杖無くしてはこの焼山寺の、いや、遍路道の行程を乗り切る事は出来なかっただろう。



 

焼山寺に限った事ではないが、難所と呼ばれる山には決まってプラカードみたいな物がぶら下がっている。

そこには歩き遍路を励ます多くの言葉が書いてあり、意識的に頑張ろうと言う気持ちが芽生えて来る。

恐らくこれを書いた人達も遍路道の厳しさを嫌と言う程味わい、応援のメッセージを書いてくれたのだろう。

その内の一つに「慌てず急がず時には振り返る」と言うプラカードを見つけた。



確かに前ばかり見ていたら「まだこれだけしか来ていない・・・」と、焦ってしまうが、後ろを振り返ると「もうここまで来た・・・」と、力強い意識に生まれ変わる。

自分が歩んで来た道のりを振り返る事で、今まで成し遂げて来た体験が自信へと生まれ変わる。

そして、前へと進んで行けるのである。



焼山寺も2つ目の頂上に差し掛かった時、一本杉の前に立つ空海の銅像が現れた。

 

そこで昼食に持ってきたおにぎりを食べるが、なんとここまで来るのに出発から5時間が経過している。

荷物の重量と、既に膝、足腰のダメージを受けてしまっている私は、ゆっくりとしか進む事が出来ず、焼山寺の入り口に書いてあった弱足8時間位かかってしまうだろうなと感じていた。

その間にも70過ぎのおじいちゃん達にドンドン抜かされまくり、歩き遍路超初心者と言う事を痛感した。

街中で自信満々に女性を口説く私はここにはいない。

ただ、遍路と言う大自然にボロボロに打ちのめされた私がいるだけであった。



最後の力を振り絞り歩いて行くが、遍路道の横は崖になっていて、ここまでの道中で足腰が弱っている人にはとても危険だ。

脚が縺れて転げ落ちていった人も、遍路の歴史の中では一人や二人ではないだろう。



よろめかない様に杖を崖側にし、気を付けて歩き続けるが、余りの暑さで汗が止まらず、水も残り少なくなってきた。

焼山寺まであと僅か。





やっとの思いで、門が見え焼山寺に辿り着いた。

時間を見てみると、午後3時半、出発から7時間で焼山寺に辿り着いた。

 

この時の感動は今でも忘れる事が出来ない。

落差のある山を3つ超え辿り着いた達成感は、非常に清々しい気分であった。


納経を済ませた所で住職から歩きですか?と尋ねられたので「はい」と答えると「それはご苦労様です」と労いの言葉が返って来る。

その言葉を聞いた瞬間、今までの苦労は吹き飛んでしまう。


宿では皆、焼山寺を超えて来た人ばかりだったので、その話題に持ちきりで話が止まらず、楽しい夜を過ごして眠りについた。



Day2Day4

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