いつかは旅も終わるのか・・・そんな事を考えていた。
早く終わりたい気持ちと、いつまでも旅を続けたい気持ちが葛藤している。
旅を始める前、歩けるかな?から、歩こうに変わり、歩きはじめ、今ゴールに向かおうとしていた。
昨日の大雨が嘘のように晴天。
宿から56番泰山寺までは3キロ、あっと言う間である。
そこから57番栄福寺、58番仙遊寺に向かう。
仙遊寺までの道のりは標高250メートルまで登って行くのだが、ケモノ道みたいな狭い道を上がって行かなければいけない。
それを抜けると、アスファルトの坂が続き、あの山の頂上が仙遊寺。
門が見えて来て、やっと仙遊寺に着いたと思ったら、そこから急な階段を上がって行くみたいだ。
仙遊寺まで後100メートルと言う案内があったが、そこからの上がりは今までの山登りで既に汗だくになっているので、かなりきつい。
上から下って来る団体さんがいたが、階段が急すぎて皆、転ばない様に慎重だ。
万が一転んだら、かなりの怪我をするだろう。
急な階段を上がりきり、本堂に着くと多くの参拝者がいた。
この仙遊寺は宿坊もあり精進料理が好きな人には人気の宿である。
特にお寺から町が一望出来、夜景が素晴らしいとの事で女性には良いかもしれない。
仙遊寺で写真などを撮っていると、昨日の鼻歌おじさんがやって来て「階段きつかったね~、幸せだ~」とニコニコしながら言っている。
そう言えば3日前にも幸せおじさんがいたな・・・遍路は全ての価値観をひっくり返す作用がある。
さすがに私は、きつい道のりを歩いている瞬間は幸せだとは思わないが、1日を通してみると間違いなく幸せである。
仙遊寺からの山を下って行くと、次郎坂と言う坂がある。
昔、仙遊寺からの太鼓がうるさくて漁が出来ず、その太鼓を壊しに来た漁師がいたらしい、そして仙遊寺からの帰り道、この坂で転んで亡くなったと記載されている。
その案内板を読んで、その坂を下って行く訳だが、そんな物先に知ってしまったら絶対に転ばない様に注意しなければいけない。
杖を先に突き、昨日の雨で滑らない様に注意して歩いた。
59番札所、国分寺では握手する弘法太子空海の像が置いてあり、来る人来る人皆さん握手して記念撮影をしていた。
高知坂本龍馬記念館前にある龍馬像は仲良しのシェイクハンドだったが、弘法太子空海の像は、何か、あなたをお助けしますと言う感じが強いようだ。
さぁ、ここからは約18キロに渡り、殆ど真っ直ぐな国道を歩いて行く。
通常、初心者の方は何も知らないので、60番、61番、62番と順番に廻って行くが、ベテラン遍路さんは殆ど61,62、60と順番を変えて廻って行く。
四国88か所遍路はどこからはじめても良いし、どの順番で廻っても良いので、時間を無駄にせず、宿も沢山ある、このルートが良いよと教えてもらったので、その道を行くつもりだ。
愛媛の山々を眺めながらJR予讃線沿いの国道196号線をひたすら歩く。
このアスファルトの国道はかなり足腰に負担がかかり、ダイレクトにアスファルトの堅さが足に来るので、山道とは違うしんどさだ。
途中、道の駅で昼休憩をしていると沢山の車遍路さんがいた。
男のお坊さんが一人に女性のお遍路さんが7人位。
どうやらこのお坊さんをリーダーにしてお寺さんを廻っているみたいだ。
しかし、ここでも価値の基準は働き、アルティメットコミュニケーションで述べたように、お坊さんはモテモテだった。
それが、イケイケの女性なのか、遍路に興味のある女性なのかの違いだけである。
価値を発揮出来る場所で価値が強いとその人を求めようと皆必死になる。
どこでも一緒だな、と、つくづく思う。
小休憩を挟んでいたらあのスーパーおじいちゃんが、追いついて来た。
そこから私が前、おじいちゃんが後ろの図が続き歩いて行くが、おじいちゃんはかなりの速さである。
恐らく私は時速6キロ位出ているので、徐々に距離は遠のいて行くが、それでもついて来るおじいちゃんは凄い。
一度歩いてみたら分かるが、時速6キロで重たいザックを背負い1時間歩くだけでもかなり体力を消耗する。
それが、遍路中は7~12時間続き、毎日なのである。
80歳になっても自分次第であそこまで気力を保てられる。
その方から、大事な生き様を教えてもらった。
61番香園寺について吃驚した。
このお寺は公民館みたいな建物がお寺になっていて、コンサートホールみたいな所でお参りするのだ。
最初間違えて建物の外で線香を付けたらお接待をしているグループが、そう教えてくれた。
62番宝寿寺に着く頃には午後3時を過ぎていた。
40キロ以上の距離を歩かなくなったと言っても、昨日の雨日を除けば、33キロ~38キロの間で歩き続けている。
体は相変わらず筋肉痛だが、最近ではこれ位が調度良いなと感じていた。
宿では鼻歌おじさんとスーパーおじいちゃんと一緒で鼻歌おじさんは私と喋る度に何故だか「大したもんだ~大したもんだ~」を連呼していた。
今日のメンバーでは私が一番若く、色々な方からお酒をご馳走になり、様々な方の人生観をご教授頂く。
街では絶対に巡り合えない肩書の人ばかりであった。
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