Day36

善通寺には朝のお勤めがある。

お経を唱え、住職が話をするのだが、これを楽しみに宿坊に泊まる人が多い。

私はあまりそう言った事に興味はないが、滅多に経験する物でもないので、と思い、朝のお勤めに参加すると、そこには50人位の参加者がいるではないか。

昨日の夕食時は、宿に入る時間帯で食事の時間も変わる為、そこまで人はいなかったが、これだけの人が泊まっていたとは吃驚である。

バスツアーの人、海外からの人、歩きや車の人、観光客の人、などなど。

お弟子さんがお経を唱え、続いて住職も唱えるが、尼さんも2人位はいる。

しかも、若いぞ。

「そうっすねー」などと今時の若者風に喋る人がお坊さんの道に入る動機も不思議だったが、若くしての尼さんも不思議である。

いや、ここは心を無にしよう。


お経をあげている最中、ずっと正座をするのだが、今までの歩きで足がパンパンに張っているので、正座をすると一気に血流を止め、痺れが半端ではない。

後ろの方が「正座は痺れるやろ?」と、笑っている。

心を無にしたいが、足が痺れてそれ所ではなくなった。

慣れない事はする物ではないな・・・


読経が終わり、今度は何やら地下に入って行くが、その地下に足を踏み入れると真っ暗で一切前が見えない。

日常では、真の暗闇と言うのは体験しないが、ここは本当の暗闇で、外の音は遮断されている。

壁を手探りで触り、それを頼りに前に歩いて行くのだが、いつ出られるのか?どれ程の長さなのか?どうなるのか?を全く知らないで入ったので、かなりの恐怖である。

暗闇、無音と言うのは人間を恐怖に陥れる。


暫くすると出口の光が少量差し込んで来た。

光の存在がこれ程ありがたいとは、この体験をするまでは思ってもみなかった。

後で知ったのだが、これは、お戒壇巡りと言うもので、暗闇は無差別平等の世界を表し、今まで目に頼り、見えなくて良い物まで見てしまい、最後には悩んでしまう。

しかし、暗闇ではそんな、とらわれの心を離れる体験をする場所なのだ。

そんな、非日常的な体験をさせてもらい、話題が一つ増え、経験値も一つ上がったので、ありがたかった。

それから、朝食をとるが、昨日のご夫婦の奥さんがごはんをよそってくれ、5杯お代わりを頂き、お別れの挨拶をして76番金創寺に向かう。



 

金創寺を終え、次の札所道隆寺に向かう途中、勢いよく遍路さんを抜かしたのだが、道を間違え引き返す。

すると、私の前に先程抜かした遍路さんがいるので格好悪くて、また抜かせない。

しょうがないので、その後を少し離れて歩くが、その遍路さん無茶苦茶歩くのが遅く(時速3キロくらい)休憩しながら付いて行った。

 

道隆寺に着くと、先程の遍路さんが「あれ?あなた私を凄い勢いで抜かして行った人ですよね?何で今頃着いたのですか」と、爆笑し、バレていた。

「いや、道を間違えて」と、こちらも笑う。

その方は九州から来た人で、次の札所で区切り打ちで帰ると言っていた。


残す所も後11か所のお寺だけか・・・

線香とロウソクが残り少ないので、そのお寺で線香とロウソクを選ぶが、ぶっといロウソクしかない。

お寺に参拝する数も少ないので、箱買いは荷物になり要らないのだが、それしかないのでしょうがない。

お会計をしたら値段が異常に高く、よくよく見てみると線香に高級線香と書いてある。

何も考えずに手にしたら高級線香だった・・・香りが良いらしい・・・運が良い。





丸亀市に入り丸亀城を横目に歩くが、香川に入ってからうどんを1回も食べていない事に気が付く。

丸亀はうどんのメッカなのでどこかでやっていないかな?と探すが遍路道沿いに、そう簡単にポンと出て来る物でもない、出て来たらそれこそ運が良い。


78番郷照寺に行く為、宇多津町に入る。

曲がる為に信号待ちをしていると、その前に偶然うどん屋さんがあった。

まだ時間が早いが、これを逃すとお店がないのは遍路経験上嫌と言う程味わって来たので、そこに入る。

「何やら込んでいるぞ・・・ここのお店おいしいのだろうか」

壁を見ると、世界中で有名な企業の社長さんの色紙がびっしりと並んでいる。


ここは、かなりの有名店らしい。

そこのお店で一番人気のひや天うどんを注文し食べると「めちゃうま!」うどんはもちもちとして歯ごたえがある。



その時、お店の社長さんが(恐らくそうだと思う)喋りかけて来て、良ければうちのホームページに載りませんか?と言ってくる。

遍路道にあると言っても超有名店の為、お客さんが並んでいたら、忙しい歩き遍路の方は殆どよらないだろう。

だから、歩きのお遍路さんが来店するのは珍しいのかもしれない。

私はたまたま早い時間で、人の切れ目にタイミングよく通りかかったので入れたが、もし店の前にお客さんが並んでいたら有名店だと知っていても素通りした。

ホームページに載るのは丁寧にお断りしたが「すごい有名店なんですね?うどんがおいしくて吃驚しました」

「いやいや」と謙遜する社長。

だが、本当においしかった、たまたま入ったお店が全国的に有名な香川のうどん屋さんにも関わらず、すんなり入れて運が良いとしか言いようがない。

外に出ると既に長蛇の列、お店の名前はおか泉と言う。





ここからすぐの所にある、郷照寺に行き、鐘の音色が良いと評判の鐘を突く。

 

伝説ではこの鐘の音色に誘われて竜神が現れたらしい。

 



次の札所、高照院天皇寺は、他の神社と札所が隣同士にあり、神社から入る道が遍路道になっているので、どこが本堂なのか迷ってしまった。

 

さぁ、後は山道にあるお寺さん3か所を廻るだけだ。

通常は、80番、81番、82番と行くが、ここも81番、82番、80番と逆から行く。





白峰寺では、自動販売機でコーヒーを飲んでいたら、「もう結願ですね」と車の遍路さんが喋りかけて来た。

「そうですね、明後日には終わりそうです」と言うと、「え、車じゃないんですか?」と言うので「いえ、歩きです」と返事したら「歩いて廻っていたんですか!」とかなり吃驚されていた。

もう、ここまで来たら1100キロ位は歩いて来ている、歩きでここまで到達する人は、かなり少ないのかもしれないな。


白峰寺を後にし、82番に向かうが白峰寺で飼われているお犬様が杖に突けている鈴の音に反応して猛ダッシュで襲い掛かって来た。

「ワワワワ~ン」

お犬様は長い紐で結ばれていたらしく、紐が伸びきった瞬間、ピヨ~ンと戻され、引っ繰り返っていた。

「キャン!」

危ない所であった。



 

暫く歩くと、下乗と書かれた石碑がある。

籠や馬に乗って遍路をするお偉いさんでも、ここからは聖地なのでお歩き下さいと言う印だ。

右の石碑が1321年に建てられ、左の石碑は1836年に建てられたとある。

1321年と言うと、今から693年前・・・歴史を感じる。

その遍路道を今歩いているが、この旅も終わりに近づき、1歩歩く度に遍路の思い出が蘇って来た。

693年前にこの道を歩いたお遍路さんも同じような気持であっただろうか。



 

82番根香寺の門をくぐり例の如く長い階段を上り参拝を済ませる。

このお寺は牛鬼で有名だ。

 

400年前この近辺で暴れまくっていた牛鬼を退治し、その牛鬼の角が奉納されているらしい。

全国コンサルの時も様々な地に行き、こう言った伝説の記事を読む事があった。

伝説は人々の心を掴むのだろうか。



 

山の上から瀬戸内海の島々を眺め、遍路小屋でお菓子とハーブティーを頂く。

山を登って疲れた後のお接待は非常にありがたい。

遍路小屋の中を覗くと足を痛めたお遍路さんが休憩をしていた。

「後、僅かですから、足が痛くても頑張りますわ」と言う遍路さん。

年齢がいくつになっても、それぞれ必死に頑張っているんだな。


 

後は、この山を下れば80番国分寺。

最近では、40キロを歩かないと言っても、38キロ位は普通に歩いている。

しかも、焦る事無く、きつい山道を入れてなので、遍路を始めた頃に比べたら格段に成長をしているなと実感する。

人の成長は上限がない。

チャレンジすればする程、見聞を広め、新しい世界が見えてくる。

そして、また新しい世界にチャレンジをする。

この繰り返しだが、停滞や小さい世界にしがみ付くのは進化をせず、後は滅んでいくのを待つだけだ。

俗に言う凄い人は、絶えず動き、細胞をいくつも生まれ変わらせるが、小さい世界にしがみ付いている人は自分の存在意義を守る為、そんな人を攻撃し、何とか自我を保っているのが現状。

そしてその負のエネルギーはやがて数十倍になって自分の元に必ず戻って来るので、人を攻撃するのは自分を強烈に貶めているのと同じ現象になる。

波動と言うのは本当に怖い。

負のエネルギーのリターンは凄まじいので絶対に避けるべきだが、反対にプラスのエネルギーにもこのリターンは適応される。

私も凡人なので肝に銘じておかなければいけない。



  

山を下り、国分寺到着、ここには金色の太子像が置いてある。



金は波動の色では最上に位置するので、未来永劫、金は人の心をワシ掴みにする。

良く西洋の宗教画や仏教なども神や仏の後ろには金色のオーラを纏っている絵があるが、あれは最上の波動である。


しかし、今日も良く歩いた・・・納経を済ませ宿に向かうと、私が最後のようであった。

夕食時、逆打ちをしている遍路さんや、結願前の遍路さんなどで宿は満室だ。

皆、1か月以上に渡る遍路をして来ているので、コミュニケーションは抜群。

それぞれが、話す役割を心得ていて、人の話はちゃんと聞き、自分が話し、今度は別の人が話す。

そのタイミングが絶妙なのである。

こうなると、お酒が進み宴となり、更に会話が盛り上がる。

遍路の方々が「歩ける体に産んでくれた親に感謝、それだけで幸せ」と口々に言う、その意味が腑に落ちていた。

遍路は幸せのステージが格段に上がる。

それは、ない物を奪い合う競争、他人を蹴落とし自己満足を満たすストレスだらけの社会ではなく、あるものに感謝するようになる、ストレスフリーだからであろう。


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