朝はパン食が食べたかったので、宿を早めに出て近くのガストに寄る。
お客さんは誰もいなく、ゆったりとした時間が流れる。
たまにはこう言った朝食も良いかも知れない。
83番一宮寺で納経を済ませ、高松市内に向かうが、今日は曇り時々雨。
遍路期間中、運が良い事に雨にはそこまで降られなかった。
お遍路さんの中には区切り打ちで来て、ずっと雨だった人もいるらしいが、今回の様に天気がずっと続くのは稀だろう。
84番屋島寺に向かうが高松市内は遍路マークの矢印が剥がされていたり、張ってなかったりするので、スマホで検索しながら進む。
国道11号線に差し掛かり、車の渋滞の列を見ながら歩くが、ある事に気が付いた。
それは、車で仕事に向かう人々の顔に覇気が全くないと言う事だ。
勿論、一人でニヤニヤ笑っていたら気持ちが悪いが、「あ~今から仕事か・・・嫌だな」「どうしてこんな人生になったんだろう、生涯奴隷だ・・・」などと、言葉に出さなくても車の中から見える表情で、何となく分かってしまう。
つまり、目が生きていないのだ。
人の多くは自由と引き換えに安全を買うが、自由を奪われた人生も生き甲斐がないのかもしれない。
ようやく、屋島寺がある山が見えて来た、あの山を今から登る。
その途中に池があり、鯉が沢山泳いでいたので眺めていると、おばあちゃんが私を見て「お太子様ご苦労様です」と手を合わせて来た。
四国では歩き遍路は弘法太子様の化身とされており、時々こうやって手を合わせられる事がある。
勿論、こちらとしては恥ずかしいが、それは風習なのでありがたく受け入れるしかない。
「この池、鯉が沢山泳いでいますね」
「じゃけん、食べられんでいかんわ、食べられたらお接待するけんに」
いや・・・私は綺麗ですねと言う意味で言ったのだが、そんな言葉が返って来るとは思ってもいなかったので面喰った・・・このおばあちゃん天然で面白い。
そもそも池で泳いでいる鯉を食べる人っているのだろうか?
屋島寺の登りはきつい。
標高はそこまで高くはないのだが、アスファルトの登りなのでやたらにきつく感じる。
上から下りて来る地元の人が沢山いるが、ハイキングコースにもなっているようだ。
途中、食わずの梨と言う場所がある。
昔、弘法太子空海が梨を所望したら「この梨は食べられない」と地主が断ったらしい、そして、本当に木が枯れてしまい食べられなくなったそうだ。
ここも、また伝説の地の一つである。
湿気と坂のきつさで汗だくになりながら、屋島寺に到着。
来る途中、屋島寺の宝物館に源平合戦の遺品などが展示されているとの事でそこも見学。
見学者は私一人だけだったが、こう言った催しは嫌いではない。
感想は・・・まぁこんなものか。
境内を抜けると血の池と呼ばれる池がある。
ここは源平合戦の時、血の付いた刀を洗い、真っ赤に染まった事からそう呼ばれるようになったらしいが、本当は瑠璃宝池と言う。
今では草だらけでその面影は勿論ないが。
屋島と聞くと源平の合戦を思い出す人が殆どだと思う。
その場所が屋島寺から山を下る時に一望出来る。
この横にはかなりの人数を収容出来そうな観光旅館があるのだが、今は廃墟になっている。
聞く所によると、全盛期は200万人以上訪れたこの屋島も、今では観光客が激減し、屋島周辺の旅館も殆ど潰れてしまったそうだ。
そんな、屋島の眺めを堪能してから、下山するが、標高300メートル位から一気に下って行くので、かなり危険。
雨が降り出し地面が濡れると靴底が減っているのでかなり滑る。
転落防止用のロープを握って下りていくが、それに頼ってしまったので、思いっきり滑って転がってしまった。
遍路ころがしとはよく言ったものである。
85番八栗寺に向かう途中ゴチャゴチャとした道を歩いて行くのだが、何故だか讃岐うどんの店に誘導されているルートで殆どの歩き遍路さんはここで昼食を取っていた。
地図を見ても真っ直ぐに行けば近いのだが、遍路シール通りに行くとこのお店に来る。
まぁ、ここを逃したら次はないのが遍路道なので私もここで昼食を取る事にした。
しかし、味はおいしく(讃岐うどんの名店おか泉には勝てないが)もちもちとした食感であった。
お店の中は白装束を着たお遍路さんが多く、地元の人も訪れてほぼ、満席状態だ。
席で注文を待っていると、隣に座った歩き遍路さんの方が、「ビール大瓶で1本!」と、まさかのビール注文。
酒好きの私でもさすがに飲んでは歩けない、と言うか、飲んだら体がだるくなるので飲まない様にしている。
「お酒飲んで歩けますか?」
「夢心地になって良いんだよな」
何かそちらの方が危ないような気がするが、「ゴキュゴキュ」っと、うまそうに飲み干し、「かーっ、うめー!」のダブルパンチをされると思わず笑ってしまった。
豪快で幸せそうな人であった。
外に出て上を見上げると、山があり、まさか「あそこ」を登るんじゃないだろうな・・・と、思っていたらやはり「あそこ」がそうだ。
八栗寺には徒歩とケーブルカーで行くルートがあり、車遍路の方は駐車場からケーブルカーで山頂を目指し、徒歩の方はこの駅横、鳥居の道から登って行く。
「よし行くか!」と気合を入れ歩きはじめたら「遍路さん休憩して行って」とおばさんがニコニコ笑いながら声をかけてくれた。
先程、下の駅でアイスクリームを食べ、ジュースを一気飲みして来たばかりだ、しかも気合を入れ歩き出してから5分しか経っていない。
しかし、折角のお接待なので、ありがたく受けたら、ジュース、果物、お菓子、デザート、お茶など、どんどん出て来る。
さすがにお腹がタプタプして来たので、お礼を言い歩き出そうとしたら、まさかのお代わりが出て来た。
気持ちは非常にありがたい・・・もう、ここでゆっくりする事にした。
話を聞くと、時間がある時は歩き遍路さんにお接待をして、色々な方の話を聞くのが楽しみらしい。
遍路をした方で遠方からわざわざ遊びに来る方もいるとの事。
顔から優しさが滲み出ているような方だった。
その時、30代位の女性の遍路さんが通りがかり、その方も呼び止められ、休憩をして行ったのだが、その方はおばさんに向かってまさかのタメ口連発、遍路さんでこう言う方はまず見かけないが、社会生活でもこうなのだろうか?
「すいません、本当においしかったです、ご馳走様でした!」
おばさんにお礼を言いそこを後にした。
八栗寺に向かう道はきついのはきついが、先程の屋島寺に比べれば大した事はない。
山の頂上にある、見送り太子を過ぎたら85番八栗寺。
着いた頃には雨も止んでいた。
香川に着く頃には遍路さんが少なくなっている。
歩き遍路さんの殆どが徳島から始めるので徳島は多いが、高知、愛媛、香川と廻るに従ってドンドン数が少なくなって行くのだ。
今まで出会った遍路さん今頃どうしてるだろうか?元気にしているだろうか?数日前の事でも遠い昔のように感じていた。
八栗寺を出発しエレキテルで有名な平賀源内先生の旧宅を過ぎ、86番志度寺に向かう。
志度湾を横目に歩けば志度寺である。
86番、とうとうここまで来てしまった、残すとこ後2か所だけである。
ここに来て、寂しさと、歩かなくて済む気持ちが葛藤していた。
この志度寺にはお遍路のポスターがあり、こう書かれている。
・徳島 人それぞれに旅の始まり
・高知 先へ先へと進む喜び
・愛媛 たまには一休み
・香川 振り返れば楽しい事ばかり
経験したから分かるが、まさにその通りだと頷いた。
と言うか、私の行動そのまんまである。
宿では明日結願を迎える遍路さん4人。
それぞれ思い出を語り合う。
いつものように派手な宴ではなく、言葉一つ一つに深みがあり重みがある夜が過ぎて行った。
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