とうとうこの日を迎えた、結願の日である。
朝、宿の人がお弁当をお接待してくれた。
「今日、結願だね、最後まで頑張って」と、見送られ曇り時々雨の中、87番長尾寺を目指す。
長尾寺に着き、今日のルートを考える。
88番大窪寺には2つのルートがあり、どこから行くのかまだ考えてはいなかった。
お遍路さんの中には最後の難所、女体山と言う山を越えて行く人が多いが、昨日の遍路さんの話では、雨が降るとかなり危険との事。
このルートは山の坂を延々と歩き、鎖を伝って登って行くルートらしい。
もう一つは、国道を歩くルート。
雨が降るならば、国道を行こうかな?と思っていた。
まぁ、その前にお遍路交流サロンに寄って行こう。
このお遍路交流サロンではお遍路に纏わる歴史的展示物などがあり、殆どのお遍路さんは、旅の締めくくりにここに立ち寄る。
中に入ると、気の良いおばさんが対応してくれ、お茶やお菓子などでお接待をしてくれた。
まず、目につくのは88か所のお寺が記された、模型だ。
ボタンを押すと、それぞれのお寺が赤く点灯する。
難所だった、焼山寺、鶴林寺、太龍寺、横峰寺、雲辺寺、なども標高が分かるようになっており、延々と歩き続けた、室戸岬や、足摺岬なども一目瞭然で分かる。
あ~、あの時は、こうだったな、あそこでは挫けそうだったな、その先に行くと力が付いたな、などなど、感慨深い。
その先が展示資料室で、昔のお遍路衣装や、お札入れなどが展示されている。
今は、携帯、自動販売機、食堂、遍路シールがあり、とにかく諦めずに歩けば何とかなるが、昔の人はそれこそ死ぬ気で廻っていたんだろう。
いつ死んでもおかしくはない、常に危険と隣り合わせ。
水の工面一つでも、想像を絶する旅ではないのだろうか。
と、その時、お遍路交流サロンに異臭がした。
気の良いおばさんが、何か変な匂いがする、と言いながら窓を開け辺りを確認しているのだが、辺りにはその気配はない。
その瞬間、一つの扉から煙が出て来た。
「火事か?」
モクモクと出る煙の正体は、ゆで卵を作ろうと沸騰させていたお湯が蒸発してなくなり、卵から煙が出ていたのが原因だった。
慌てて火を止め、水をかけたので大事には至らなかったが、おばさんは「たまにある事よ」とケラケラ笑っていた。
今日、ここに立ち寄ったお遍路さん達はどのルートで行きました?と聞くと、雨で濡れているから殆どが国道との事。
よし、女体山を登ろう。
女の体の山と書いて女体山、女体山が難所であれば克服してみたいので、危険であってもそちらのルートを選択した。
と言うよりも、何故か登らなければいけないような気がした。
外に出ると微かだが日が差し込んで来て、道の前には結願の道と石碑に書いてある。
最後にザックの紐をギュッと締め、靴紐ももう一回厳重に結び直した。
女体山へ続く道は、崖とか岩をよじ登って行く道で半端なくきつい。
ある程度舗装された道もあるが、殆どがケモノ道みたいだ。
この道を約8キロ、標高770メートルまで一気に登る。
この山一つ単体で比べるのであれば焼山寺より遥かにきついだろう。
吹き出る汗、消耗する体力、これが女体山か・・・今までの遍路で鍛えた足でもかなり堪える。
最後の難所には相応しいが、女体山では絶対に転がりたくはない、慎重に歩みを進める。
何度も立ち止まっては息を整え、また歩き出す、その作業を黙々とこなした。
あかん、きつ過ぎる。
久しぶりに出たこの言葉、遍路は最後まで楽な道はない。
お接待で貰った弁当を食べ、少しでも重さを減らし体力を温存する。
2本持って来たペットボトルも後1本になっていた。
後、残り3キロ、上へ上へと目指す。
そして頂上付近。
濡れた岩を踏む度に減りまくった靴底がツルツル滑る。
岩をよじ登って行く様は、もはや遍路道ではなくロッククライミングであろう。
杖を脇に挟み、岩を手で掴みながら足元を確認し、次の岩に手をかける。
頂上付近に到達し、鎖を伝いながら登るが、ここで滑ったらすぐ横は急な崖なので真っ逆さまに落ちて行く。
ここを登り切り、足場の良い場所にやっと出る。
この上に行くと、女体山頂上だ。
言葉に出せない達成感があった。
今、女体山の頂上にいる。この景色は一生忘れる事はないだろう。
頂上で暫く休んでから、下山するが、また、この下りが急で一気に300メートルを下りていく。
途中、奥の院に寄り、88番大窪寺に到着。
ついに来たか・・・
38日間に渡る、壮絶な旅も今終わろうとしている。
誰が想像したであろうか、1200キロを歩く事を。
最後の納経を済ませ、住職から「良く頑張りましたね、おめでとうございます」と言われ、結願となった。
この気持ちを文章で表す事は不可能だ。
恐らく経験した人でないと一生味わう事の出来ない感情だと思う。
興奮、達成、寂しさ、喜び、感謝、満足、苦しみ、痛み、成長、自信などなど、様々な要素が入り乱れ、渦を巻いている。
でも、
一つ言える事は88か所、1200キロを全て自分の足で歩き通した事だ。
それだけは誇りを持って生きて行きたいと思う。
大窪寺は結願のお寺と言う事もあり、多くの参拝者で賑わっている。
団体さんが写真を撮る場所なども用意されていて、いくつかの団体さんが記念撮影をしていた。
多くの遍路さんは、このお寺で今まで使った杖を奉納するのだが、歩き遍路さんは記念に持って帰る人が多い。
私も苦楽を共にした杖を記念に持って帰る事にした。
大窪寺を後にして、下に降りて行くと、お土産屋さんがあり、そこでうどんを食べる。
コミニティバスでJR志度駅まで行き、自宅に帰るか、高野山に行くか、お礼参りに1番札所に戻るか、うどんを食べながら考えていた。
もう一度だけ40キロを歩こう。
本来、私は88か所を終えれば、そのまま帰宅しようと考えていた。
四国は88か所で終わり。
お礼参りに1番へ向かうと、歩いて四国を一周した事になるが、その反面、延々と四国を廻るような気がして嫌だったからだ。
私は元々、コーチ・カウンセラー・コンサルタントとして、好奇心から自身が体験してみようと思い遍路を始めた。
遍路にはどのような効果があるのか?どのように感情が変化するのか?何が得られて、何が大事か、何で最高の遊びなのか?と。
しかし、今、出来るのであれば全部経験してみよう、やらないで悔やむよりはやった方が良いのは今までの経験から分かっている。
また、やらなかった事はアドバイ出来ないが、やった事ならばアドバイスが出来る。
なので、ここまで来たら遍路にどっぷりと浸かり、高野山にも行ってみようと決断した。
近場の宿に電話をし、空いているとの事で、その宿に向かった。
宿で荷物を降ろし、杖を見てみると、かなり短くなっている。
一突き一突きが道を作り、前へ前へと押し進めてくれた。
夕食時、結願をした遍路さん達と、細やかな乾杯をし、明日はどうするのか話し合った。
1番に歩いて戻る人、バスで帰宅する人、高野山へ向かう人、それぞれだ。
その時、私と話が盛り上がったおじさんが「キミが持っているべきだよ」と、2つ持っていたその内の一つの錦のお札を手渡された。
この方は100回以上お遍路をしている方から2つ錦のお札を貰い、気になる人がいたら一つあげなさいと言われていたらしい。
錦のお札。
巡礼を100回以上した人だけが手に出来る超貴重なお札で、このお札に巡り合えたら、とんでもなく幸運に恵まれると言う。
そのお札を貰った。
噂には聞いていたが、まさか、初めての遍路で、しかも最後の最後で錦のお札を貰えるとは想像もしていなかった。
何度、遍路を廻っても錦のお札に巡り合えない人がいる中で、幸運に恵まれているとしか言えない。
中には錦のお札が欲しくて収め札を入れる箱を漁る人もいるくらいだ。
「本当にありがとうございます!」と、お礼を言い大切にしまった。
夜中ふと目が覚めると、今までに見た事がないような光が差し込んでくる。
部屋のカーテンを開けたまま眠ってしまったので、星明かりが凄いのだ。
絶対に都会では見られない凄い数の星が輝いている。
それを見ている内に、また眠りについた。
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