高野山に行くのにはバスで大阪の難波まで出て電車で和歌山に向かう方法と、フェリーで和歌山に行き、そこから電車を使う方法がある。
私は、徳島駅からフェリー乗り場に行き、そこから和歌山に向かう方法を選択した。
最初の日、夜行バスで降り立った徳島駅に着き、そこから徳島港を目指す。
港について時刻表を確認すると、次の便は午前11時。
宿でゆっくりして来たので、中途半端な時間になってしまうが、慌てる旅でもない。
高野山までの時間を計算してみると、乗り換えを2回して午後4時30分頃に着く予定。
と、なると納経には間に合わないので明日の参拝になる。
フェリー乗り場の待合室では、私以外お遍路さんはいない様子だったが、高野山に遊びに行く人が多いようだ。
お遍路さんが高野山に行くのは、無事旅を終えたお礼として参拝するのが、旅の締めくくりとされている。(奥の院の弘法太子空海)
また、遍路をする前に高野山に参拝してから四国を廻り、旅を終えて、また高野山に向かうのが本当とされているが、今は殆どの方が四国を廻ってから高野山に行くスタイルを取っている。
行かない人もいるので、要は自分がどうしたいのか?で決まる部分が強い。
時間は10時30分となり、かなり多くの方が待合室に集まって来た。
11時係員が切符を確認し、フェリーに乗り込む。
席に座り眠る人、外に海を見に行く人、お弁当を広げる人、家族連れや、友人同士、一人旅など様々だ。
船が出発し、徳島が離れ、四国が離れて行く。
こうしている今でも歩いている人はいるし、結願を迎えた人もいるし、よし、明日から遍路をしようと発心した人もいるだろう。
旅はいつの時代も人を成長させてくれるのかもしれない、だからこそ、心に沁みる。
フェリーの中でゴロンと寝転がっていると、横にいたおじさんが喋りかけて来た。
話を聞くと、夫婦で今から高野山に行くとの事。
意気投合し、その方に良かったら一緒に車に乗って行くか?と、誘われた。
車で行くと電車の乗継をするよりも早く高野山に行けるので、納経にも間に合うらしく、「是非、お願いします」と便乗させてもらう事にした。
午後1時、和歌山港に着き、その方の車に乗せてもらう。
車の中では歩き遍路の事を色々と聞かれ、生のお遍路さんの話を聞かせてもらって、非常に為になったと喜んでもらった。
「この旅で何か変わったかね?」
そう聞かれ、暫し考えた。
余りにも変化があり過ぎて感じる事は沢山あるけれども言葉で出すのは難しい。
それを整理するにはもっと時間が必要かもしれない。
ただ、人生の縮図を経験出来、困難をいくつも克服し、得た物は莫大にある事は確かで、コーチとしてこの旅の経験が大きな財産になった事は揺るぎ無い事実であった。
高野山に向かう道は観光客で渋滞し、午後3時過ぎ高野山に着く。
道中のお礼を言い、私は奥の院に向かった。
世界遺産に登録されている高野山は人、人、人である。
比叡山延暦寺には行った事があるが、高野山は初めてだ。
空海と最澄、どちらも偉人である。
高野山の奥の院に歩いて行くと、歴史上の人物のお墓がずらりと並んでいる。
豊臣秀吉、織田信長・・・
ここからは聖域と言う橋を抜けると奥の院である。
世界中から人が集まり、参拝をしている。
私も収め札を収めた。
納経所が慌ただしかったので、二転三転場所を移動させられたが、何とか午後4時30分前ギリギリに納経を済ませる事が出来た。
今日の宿はお寺さんだが、高野山は山の上なので、午後5時にはとても寒くなる。
お寺のお坊さんに部屋に案内してもらい、部屋食で精進料理を食べたが味はあくまでも精進料理だった。
夜になり、外が騒がしいので見てみると、ALL白人で今からこの方達専用のツアーが開催されるらしい。
私は明日帰宅出来る喜びに胸を躍らせていた。
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