朝出発する時、例のおじいちゃんが「これ飲んで元気出しなさい」と缶コーヒーをくれた。
昨日の騒動を何も知らない満面の笑顔で渡されてはこちらとしても頑張るしかない。
お世話になりましたと言い出発するが、歩道橋を下る時にまだ膝の痛みが取れないので今日も距離をそこまで延ばせない。
途中、靴屋を見つけたので中のインソールを変える事にした。
靴自体は遍路に来る2週間前から履き慣らして来たので馴染んでいるのだが、中のインソールがかたくて全く合わないのだ。
このインソールを購入した時店員から、人間の足が元々持っているクッション性を利用し長距離でも疲れないと言う事であったが、遍路の道は多くがアスファルトである。
山道だけならば地面が柔らかいので良いのだが、アスファルトを長距離歩く時はただ足の裏が痛くなり疲れるだけであった。
これは身を持って体験したからこそ良く分かる。
歩き用の遍路靴の選び方はとても重要で、これを間違え無理に歩くと結局リタイアする羽目になってしまう。
そこで、中敷きをクッション性のあるものに変更した途端、それ以後、どんな長距離を歩いても足の裏が痛くなる事は、そこまでなくなった。
これが大正解だったのである。
その靴の心地よさに気分が良いまま歩いていると、突然ケーキ屋さんから若い女性店員が3人出て来て、「遍路頑張って下さい!」と握手を求められキャーキャー言いながらお菓子のお接待を受けた。
・・・何か芸能人になったような気分だ。
遍路をしていると、若い女性陣も平気で声をかけて来るのが不思議な感覚であった。
徳島市内の中心に近づく度にある事に気が付く。
そう言えばこの道、全国コンサルの時、車で通ってきた道だ、それを今は歩いている。
あの時の四国はまだ、全体の7分の一が終わったばかりであったが、今もそれ位だろうか・・・
その国道沿いを更に歩き、つい6日前、希望を胸に降り立った徳島駅に戻って来た。
阿波踊り会館の前に来る。
時間はあるので少し見学して行こうかなとも考えたが、ベテラン遍路さんの話では遍路中に遍路以外の事をしてしまうとダメらしい。
つまり、街で遊んだり(キャバに行ったりは論外)アミューズメントパークなどに行くのは宜しくはないと言う事だったのでそのまま通り過ぎる事にした。
遍路に来る前は半年間コーチングのメンバーが四国に数人いる為、連絡を取って飲みに行こうかなとも考えたがそう言った理由から断念した。
街を通り過ぎ、源義経上陸地の横にある恩山寺を目指す。
恩山寺で休憩をしていると、横のベンチに座っていた二人組の老人の一人が、足のマメが痛くてこれ以上歩けないと呟いていた。
もう一人の方が一生懸命励ましの言葉をかけていたのだが、痛みが尋常ではないらしく、どうやらここでリタイアするらしい。
私の場合、靴下を2枚履き、途中で靴を脱いだり、靴下を履き替えたり、常に換気を良くしていたのでマメはまだ出来ていなかったが、マメが出来る要因は「蒸れ」と「擦れ」である。
これに苦しんでいるお遍路さんを本当に沢山見た。
マメだけであれば水を抜きテーピングをすれば何とか歩けるが、長時間歩く事の精神的ダメージの方が強く、マメを口実に歩く事をやめてしまう人が多いのだ。
それ程歩き遍路は過酷なのである。
恩山寺⇒立江寺と順調に廻り宿に到着するが、時間があまり早いので「先に行かれては?」などと宿の人に気を使ってもらう。
「膝が痛いので今日はここで」と、早めに宿に入れてもらうが、どうやら今日の宿泊客は私を入れて2人だけらしい。
夕食時、そのお客さんと2人で食事を取るが、見た感じ70歳近くの男性で、眼光がやたらに鋭い。
少し話をしただけで只者ではないなと分かる。
その口調、動作、気品などなど。
詳しい仕事の話は聞かなかったが、何かを成し遂げて来た人物に違いない。
私が遍路を廻っている時、出会った歩き遍路さんは成功者が多かった。
成功者と言っても威張り散らし、金持ってるぞ!系の成功者ではなく、試行錯誤し全ての感情を満たして来た人の事である。(勿論歩き遍路が出来る事はお金に余裕がある)
その方と、2時間近く会話をし、様々な事を教えてもらい非常に有意義な夜であった。
もし、私が膝を壊していなければこの宿に泊まる事はなく、この方とも出会っていない。
自分はラッキーであった。
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