Day8

今日は四国88か所の中で唯一「おつるさん」の愛称で親しまれている鶴林寺への登山だ。

事前の情報によると鶴林寺には自動販売機がないので、ペットボトルを持って行くように言われたので購入する。

1に焼山、2にお鶴、3に太龍と言われる難所の道であるが、登り始めから急な坂道を延々と上がって行くのでさすがに息が上がる。

登山開始から僅か10分で汗だくになり、きつさは半端ではない。

 

昔の人はどんな思いでこの道を通って来たのだろう。

今まで山登りは楽しいと思った事はないが、歴史が見えるとまた違った思いで歩けるので、その分楽しい。

難点はすずめ蜂が大量にいる事であろうか。

先程も1匹の蜂に追いかけられたので刺されない様に注意しながら歩く。


こう言った難所には必ず応援のプラカードがぶら下がっているので気が紛れるが、先程から「後少しがんばれ!」と書いてあっても一向にお寺に着く気配がない。

どこまでも続く坂を必死に歩くが、持って来た水の量が少なくなって来ているので焦り始める。


途中、歩き遍路のおじさんに追いつくが、そのおじさんは宿の事をやたらに気にしていた。

「今日の宿はどうする?明日は?」などと次から次に質問してくる。

どうやら宿を予約していないようだった。

私は今日の宿と明日の宿は予約していたので、教えてあげると「そこは良いの?」などと聞いて来た。

今まで出会った歩き遍路さんかの情報では良いらしいですよと告げると、早速その宿に連絡をしていた。

何だが、やたらに腰の低いおじさんである。

しかし、後々分かって行くが、このおじさん、とんでもない億万長者だったのである。





やっとの思いで山門が見えて来た時には少々感動をした。

遍路道はきついがそれを乗り越えると達成感を得られるので気分が良い。

何度も何度も遍路をしている人の事を四国病と言うがその気持ちも分かる。

大自然の中を歩き切った時の達成感は歩いた者でないと分からないかもしれないが、時間とお金をかけてまで歩く価値は十分にあるだろう。





鶴林寺で納経を済ませたタイミングで団体さんがどっと押し寄せてきた。

この団体さんと納経の時間が被ると1時間位待たされる事もある。

歩き遍路の場合、宿の時間や歩く時間があるので1時間の遅れはかなり厳しいが、気を使ってくれるお寺さんだと歩き遍路を見かけたら早めに納経をしてもらえる。

どうやら先程のおじさんはタイミングが悪かったらしく列の一番後に並んでいた。


しかし、休憩をすると寒い・・・山の登りで一気に汗を掻くが休憩をすると体が冷えるので体調の管理だけは気をつけなければいけない。


鶴林寺を後にして、急な山道を下って行くが、昨日までの膝の痛みがかなり消えている事に気が付いた。

やはり、3日間無理をしなかった事が功を奏したのだろう。

先に進みたい焦りから体を壊してしまっては元も子もないので自分のペースを大事にする。

 

次の札所は太龍寺である。

太龍寺はロープウェイで上る程急な山の上にあるが、歩き遍路の場合その山を歩いて登って行くので今から大変さが想像出来る。

暫く大自然の中を歩いて行くと、街での暮らしは一体何なのであろうか?と言う事に気が付く。

便利な反面、ストレスを感じる事も多い。

乱暴な車の運転、排気ガスや満員電車、人混み・・・人が多い事で、反対に孤独を感じる人もいるだろう。

知らず知らずの内にストレスが溜まり、その鬱憤を吐き出す為に騒ぎ、また明日も同じ日常を死ぬまで繰り返して行く。



街にある高層ビルを見ても何も思わないが、山や川などを見ると自分の存在がどれだけ小さいか、余計な物を背負っているのかを教えてもらえる。

そして、重たい物が次々と取れて行く。

大自然には人を治癒する偉大な力があるのだろう。



 

太龍寺への登りは鶴林寺よりも比較的楽だった。

と言うよりも鶴林寺がきつすぎたので、そこまできついと感じなかっただけかもしれない。

山門を潜り中に入るが、歴史を感じさせる古さだ。

お手の中には有名な天井に描かれた竜の絵が描いてある。

 

1に焼山2にお鶴3に太龍の徳島難所の3つがこれで終わった訳だが、難所を登る辛さも登りきってしまえば清々しい気分になる。

また、きついお寺ほど歴史観を感じさせてくれるのでそれも楽しみだ。

1200年の歴史の中でこの難所に訪れた人はどんな気持であったのか・・・

遍路地図が出て来たのが江戸時代らしく、勿論、今よりも詳細ではなかった筈だし、それ以前は地図もなく、それこそ道に迷い死ぬ覚悟がなければこの道は歩いて来られなかっただろう。


お寺を暫し見学し太龍寺を後にするが、さすがに難所を2つ超えると足がガクガクして来る。

 

山道では杖を支えにゆっくりと下って行くが、大きな竹林を潜り抜け県道に出る頃には足を一歩出す作業さえ苦痛になって来た。

頭の中では遍路に出る前にテレビで見たXjapanの歌、「もう一人で歩けない〜」が鳴り響いている。

後、1000キロも歩かなければいけないと思うと気が重くなるが、もう一度気を引き締めなおした。


やっとの思いで22番に到着するが、門では立派な仁王像が出迎えてくれた。

四国88か所のお寺の門には鎌倉時代に作られた仁王像や、草鞋の置物が置いてある所が多い。

木造で作られたその仁王像はお寺によって大きさや色合いが微妙に違うので、見ているだけでも好奇心を擽られる。

 

そのお寺で休憩をしていると、昨日の宿で一緒だった女性の方と、道中の休憩所で喋った中年の男性お遍路さんが来た。

その二人はここまでの区切りで帰るらしい。

旅を続けられる私を羨ましがっていたが、これからのきつさも分かっているので「最後まで気を付けて」などの言葉が嬉しく力になった。


遍路には数々の出会いと別れがある。

旅の目的はそれぞれ違うが、遍路を廻ってみたいと思う気持ちは同じなので、仲間が欠けて行く寂しさも感じるが、また新しい仲間が加わり旅は続いて行く。

「何でお遍路をしているのですか?」など、深い話は聞かないが「どちらから?」このキーワードだけで歩き遍路同士は延々と会話が続いて行く。



宿では、また新しい顔ぶれの遍路さんがいたので話をしていると、どうやらその方20回も遍路を廻っている先達さんであった。

納経帳は朱印で真っ赤になっており、鉄で出来た杖を持っている。

しかも一日35キロから40キロは歩くと言う強者である。


一日40キロ。

今の私には想像も出来ない。

その方に遍路の情報を色々と教えてもらったが「まず、88か所を歩き通して見なさい、見えてこなかった物が見えてくる」などと深い言葉を頂いた。

だが、この時の遍路初心者の私には、88か所は気の遠くなる道のりであった事は確かであった。


Day7Day9

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